デモの有効性

inumash2005-12-19

僕の職場は渋谷宮益坂の並びにあって、目の前は普段から人通りが多く、パトカーや救急車のサイレン、車のクラクション、夜には人の奇声などなかなかに賑やかなのだが、時々デモ隊に出くわすことがある。

別に活動の是非は問わない。ただ、「下手糞だな」とか、「センス悪いな」なんて思ってしまう。

僕は一昨年、イラク戦争に反対するサウンド・デモによく参加していた。

そこは旧来のデモとは少し違って自由な雰囲気と、楽しさと、ちょっとしたアクシデントや危険があって、今までにない体験をすることができた。

DJマユリがビースティの「ファイト・フォー・ユア・ライト」を鳴らした瞬間は今でも忘れない。(後に野田努さんがそのことをrimix誌で興奮気味に書いていて、それが当時23歳の僕とまったく同じ感想だったので笑ってしまった)

サウンド・デモ自体は、形式としては今も続いているものの、警備する側のノウハウの蓄積と、「音楽を鳴らす」という行為自体の形骸化によって、有効性はなくなってしまったと思うのだけれど、それでもあの行為(現象と呼んでいいのかもしれない)は確かに多くの人に感覚の変化をもたらしたと思う。(それは多分、レインボー2000やフジロック、メタモルフォーゼなどのフェスやレイブと地続きなんだろう)

それまでは、「都市の路上」に相応しい音楽なんて、考えもしなかった。

それも、メディアが創り出した幻想の「ストリート」ではなく、亜種や雑種に溢れた、交配地としての「路上」。そこで鳴らされてこそ、本当に意味のある音楽も確かに存在するって事を、この体験を通じて初めて知った。

例えばこんな音楽。

ANTIBALAS/Who Is This America?(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00025ETIM/250-6466209-8695427)

音楽は鳴らされる場所によって大きな力を発揮する。音楽が必要な場所は、何もコンサート会場やライブ会場に限られているわけじゃない。

「外に出ろ!!鳴らせ!!」