「レジャー」になったフジロック、「レジャー」になりようがないロウライフ

inumash2006-02-20

FUJIROCK(http://www.fujirockfestival.com/)
RAWLIFE(http://rawlife.jp/)

一昨年始まった都市型フェス「RAWLIFE」が3/5にフリーパーティーを開催します。場所は恵比寿リキッドルーム。詳細はこちら

参加者の増加とそのネームバリューから、運営体制が「レジャー」へと傾きつつあるフジに対して、そのラディカルさをより先鋭化させているロウライフという構図が見て取れます。

この2者は明らかに対立関係にあると考えて良いでしょう(客層が、ということではなくそのコンセプトや運営方針において)。「自然回帰」に対抗する「路上回帰」、「インターナショナル」に対抗する「ドメスティック(ローカリティ)」、「博愛精神」に対抗する「反逆精神」等々。

一昨年のゴミ処理場横の公園や去年の廃ビルを模したスタジオでの開催、そして今回のフリーパーティーというロケーションや運営方針からも明らかなように、ロウライフの源流にあるのは数多のアンダーグラウンドなパーティーや野外レイブ、そして公園や廃ビルで繰り広げられていたスクワッティング・パーティーです。

それらは小さなトライブに分かれて、交じり合うものではありませんでした。しかし、その小さなトライブを結びつけるきっかけとなったのが、2003年〜2004年にかけて行われた反米デモです。

そのデモは従来のものと違い、多くのアーティストやデザイナーが参加していました。そして、その中から自然発生的に生まれた手法が「サウンド・デモ」です。トラックの荷台にサウンド・システムを積んで音楽を鳴らしながら路上で好き勝手に踊るというこの手法は、一部のパーティー好きが始め、瞬く間に広がりました(その刺激と開放感たるや、一瞬でフジの自由が色あせて見えるほど・・・)。そこでは様々な人達が、イデオロギーや趣味嗜好に関係なく、好き勝手に楽しんでいました。その延長上に、ロウライフがあります。

その流れや現場の空気に関しては、磯部涼氏のこれ。パーティーのフライヤーみたいでしょ?)

フジロックは「海外の大型フェス」を参照としている以上、レジャー化(商業化)は避けられません(既に90年代前半には、海外のフェスは軒並み「レジャー」として運営されていました)。しかし、ロウライフは上記のような成立背景があるが故に、レジャー化することはありえません。例えば、フジでは怪我人やトラブルの少なさが美談として語られますが、ロウライフでは暴力沙汰や警官とのトラブルが「当たり前の事」として語られます。近隣住民からの通報で駆けつけた警官を、「こんな時間にこいつらを会場の外に出したら何するか分かりませんよ。」と言って煙に巻いたなんてエピソードが笑い話として立ち上がってくるわけです。

つまり、周囲との軋轢やトラブルは折込済み、もしくはその対立関係を創造する(可視化する)場所として、ロウライフは存在していると言ってもいいのではないでしょうか(これは、初期段階でのフジロックにも言えることです)。もちろん、そんな「レジャー」は、少なくともおおっぴらには成立し得ません。

つまり、フジロックがレジャー化していく中で失われた「批評性」をラディカルな形で引き継いだのがロウライフと言えるのではないでしょうか。

同時に、この流れを語る事は、「旧世代左翼」と「新世代左翼」との対立関係にも応用できるような気がするのですが、それはまた後日。

ロウライフ、楽しみです。