「ワイドショー化」したブロゴスフィアに価値はあるのか

ブログは「ワイドショーが増えただけ」ではまずいのか〜煩悩是道場〜

このエントリの僕のブクマコメント

「つーか、「ワイドショー的批評空間」ってブロガーが一番嫌ってたことじゃないのかな?

id:ululunさんから突っ込みが入りましたので、ご返答をば。

まずは「ワイドショー的」の定義を。

これはあくまで個人的解釈ですが、「ワイドショー的」とは、「非当事者(あるいは消極的当事者)でありながら、「世間」や「世論」を傘に着ることで当事者性(正当性)を装う語り口」ではないかと思います。子供の犯罪に、普段経済の事しか考えてない学者や経営者が、「教育が〜」とか始めるのもその構図ですよね。問題なのは、そこで何が語られるかということよりも、その「語る」という行為を喚起する構図にあるのではないか、と。で、その構図って、多くのブロガーが既存メディアを批判する時に槍玉に挙げてきたロジックじゃないかと思うんですよね。「自分達がやっている事を棚に上げて、公共性を謳うな」とか。

同時に、既存メディアとblogの特性を比べた場合、その「当事者性」こそが最も大きなアドバンテージだと思うんです。blogを既存メディアに対抗する新しいメディアとして扱おうという人達は、まさにその点を売りにしていたのではないか、と思ったんですね。記名/匿名問題や「黒木ルール」も、その「当事者性」を担保する為の試みだと僕は解釈しています。

で、徳力さんの件のエントリは、まさに「ワイドショー的」だったと思うんです。「ゲーマー」というある種都合のいい集団を立ち上げて、それに自身の考えを補強させるという構図。だから、id:number29さんが「新しいワイドショーが増えただけの、くだらないコメンテイター」と書いているのではないですかね。

僕は基本的にはululunさんのエントリ内容には賛同します。恐らく、ブロゴスフィア集合知としての機能はそこまで劣化するものではないでしょう。ただ、多分id:number29さんが指摘したかったのはそこではなくて、仮にもblogを新しいメディアとして立ち上げようとする人が、そのメディア特性を無視して「ワイドショー」的な語り口でもって語ろうとした、という部分なんじゃないか、と。

これは僕の誤読かも知れないですけれども、少なくとも徳力さんのエントリからはそういう構図が見て取れます。そして同時に、それは個人メディアとしてのblogを考えた場合、デメリットこそあれ、メリットがあるものではないと思います。