何故彼らは若者を煽る前に隣にいる奴を殴らないのか

「若者よ怒れ」 新宿ロフト代表の平野悠さん(asahi.com)

ロフトにもプラスワンにもお世話になった。やってきた事、やろうとしている事はよく分かる。でもこの発言は駄目だ。「若者」に語りかける前に、貴方の隣にいる奴を殴らなければ。苛立ちの対象、語りかける対象を間違っちゃいないだろうか。

「自由を制限され、格差社会下流にいて何で怒んないの? 社会を斜めに見る反逆精神が若者の特権じゃないの?」

そう。かつてはそうだった。そして彼らがそうした結果、何が起こったのか。何も変わらなかったのだ。「若さ」という特権を失った彼らは、社会との係わりを失うか、自らの地位や権威を守る事に固執していった。アメリカの「フラワー世代」が実権を握って作り上げたのが、反抗やカウンターカルチャージェンダーフリー思想や環境保護もソフトに取り込んだ「グローバル社会」であるように、「全共闘世代」が作り上げたのが今のどん詰まりの社会だ。そして、そのどん詰まりを打破する為に持ち出されたのが小泉政権であり、愛国心である。上の発言はまるで当事者意識を欠いている発言のように僕には見える。その格差社会の温床となっているのは、かつて貴方の隣にいた奴だっていうのに。

詳しい社会学的考察はしない。これが正しいのか正しくないのかもどうでもいい。ただ、少なくとも彼らの尻尾みたいなものを追いかけてきた僕が得た結論がこれだ。

もういい加減うんざりなんだよ。貴方の幻想を代弁させられるのは。こんなの、ニートを叩いてる馬鹿保守親父と同じじゃないか。僕等に何かを託す前に、僕等に煽りを入れる前に、もっと面と向かって話さなきゃならない相手がいるんじゃないのか。その事を、貴方は十分に理解しているのだろうか。僕にはそうは思えない。

ヒト、モノ、カネより大切なもの 〜404 Blog Not Found〜

「今の若者」の不満が、かつてのように暴力的な動きにならない理由がそこにある。彼らは上の世代を「憎んで」はいない。彼らは軽蔑しているのだ。

「上の人たち」には、それがわからんのだろうか。

この感覚は今の僕にとても近い。25歳が「若者」かどうかは分からないけれど、少なくとも、無邪気に「反逆精神」とか言われるよりはよっぽど納得ができる。

この「当事者意識」を持った上で、つまり、怒りの矛先が他でもない「自分自身」に向けられる事を前提とした上で、若者への煽りをしているのだろうか。だとしたら格好いいけど、やっぱり無邪気さしか映らないな。

今やらなければならない事は、自分達がやってきた事、それがもたらしたものを、きちんと考察して、同世代へ投げる回路を持つことじゃないのか。少なくとも、若者にチャチな煽りを入れるよりは、よっぽど有効だと思う。

と、ここまで勢いで書いてきたけど、平野さんがやってきた事を考えると一概にこうも言えないんだよね。でも、こういう人が同世代へ語りかける回路(意志?)を持っていない(ように見える)のは問題だと思うし、「反抗」や「反逆」、つまり社会に異を唱える行為が若者の特権であるとするロジックには激しく違和感を覚える。無邪気すぎるし、短絡的すぎる。何で社会に異を唱える行為が、「若さ」や、あるいは「正義」という概念に回収されなければならないのか。もっと実用的なロジックに落とし込む事はできないのだろうか。

(追記)
このエントリのタイトルは、「何故平野さんは若者を煽る前に目の前の朝日の記者を殴らないのか」に変えるべきだと思った。


(※このエントリは断片部から移行した為、普段の「ですます調」から断定調へ口調が変わっております。とはいえ、書いているのは本人です)