左翼的思想は攻撃的であることの源泉にはならんと思うのだが。(ヨコヤリ)

いまこそネット右翼はリベラルを叩け‐偽堀江ブログ
ロリコンファル‐いやもう相手にしてないっつーか…
ロリコンファル‐相対主義と気遣い −ARIAから見るリベラルの形成−
私は私が死なないことだけを望む。お前らは勝手に死んでくれ。‐偽堀江ブログ
極論過ぎると思いますが…。 −迂遠な道が一番近い−
リベラリズムの存在証明未満‐偽堀江ブログ

まあ、極論を述べているのは誰なのかをもう一回冷静になって考えてみるべきだと思うよ。安易なレッテル貼りをしているのは一体どちらなのかも含めて。

九月十一日にアメリカで起きたことが日本でも起きるかな。要するにリベラルの説得力を如何にして保持しうるかという問題が出てくるわけで、ネット右翼がここぞとばかりに左派をバーカバーカというはずだ。いや、確かにバカなんだけど愛すべきバカです、ってそういう問題ではないか。それはともかくとして、アメリカでなぜリベラルというか左派が説得力がなくなったかというと、要するに他者というのは人畜無害な存在ではなく、我々の生存を脅かすような存在でもあるという当たり前の事実を目の辺りにしてしまったからだ。それでもなおかつ他者を排除することよりも他者といることを望むということはどういうことか、を考えなくてはいけなくなったというか。

いまこそネット右翼はリベラルを叩け‐偽堀江ブログ

なんでリベラルを名乗る人達が常にこうむやみやたらに攻撃的なことが多いのか正直よく分からんのですが、いやもうなんていうか、日本の右派に分類されるようなプラグマティックにリアリストな人々の多くは日本の夢想的な左派とか、全く相手にしなくなったのが現状ですね…。

ロリコンファル‐いやもう相手にしてないっつーか…

冒頭のやり取りだけ見てもどう考えても噛合ってなくてちょっと笑える。id:nisemono_sanさんは別に右派を攻撃してるわけではなく、アメリカの例を参照しながら、今後予測される事態に対して左派がどのようにリアリズムを保っていくか、という話を(自嘲気味に)しているように僕には見えるけど。

と同時に、ちょっと日本語が分かる人ならid:kagamiさんがものすごく恣意的なレトリックを使ってるのも分かるはず。『リベラル=攻撃的』『右派=リアリスト』って構図で語られてるけど、その根拠がどこにも示されて無いよね。プラグマティックにリアリスティックな左派的言説が必要なら、酒井隆史『暴力の哲学』あたりを読んでみりゃいいんじゃね?とか思う。それに夢想的で攻撃的な右派だってごろごろいるし。2chとかにね。「日本の夢想的な左派」って社会党共産党的思考を仮想敵にしてるんじゃないかと思うんだけど、それだって「左派の一部」であるに過ぎないのは自明でしょ。(彼等の影響力の低下を考えれば分かるはず)

そもそも「リベラル」の定義自体明確なのかどうか怪しい。「リベラル」が本来求めるのは事例としてあげられている「ARIA」のような理想世界の実現というよりは、どちらかというとある社会状況においてどれだけ公正さを保てるか、ということであって、そのベースになっているのはこのような現場レベルでの思考と方法論の積み重ねにあるはずで、むしろ「プラグマティックでリアリスティックなのはリベラル」とも言えるわけでさ。そして、その状況を実現させる為に「大状況=社会」に向かうというのが基本的な「リベラル」じゃないかと思うんだが。

この辺りの前提が無視されているので、その後id:nisemono_sanがどのように思考を積み重ねても、結局は平行線のままだと思う。まずid:kagamiさんは、左派的思考と攻撃性の因果関係について事実を絡めて説明するのと、それから「リベラルの攻撃性」が一体誰に、何を目的に向けられているのかをきちんと理解する必要があると思うよ。それこそ『暴力の哲学』の論法では無いけれど。

でないと安易なレッテル貼りをしているのはid:kagamiさんの方で、今のままだと「ここを通読して「右派」「左派」「保守」の再定義からやり直せ!!」とか言われて終わりだと思うんだけどね。