僕はアメリカに恋してる。

「国家の品格」是々非々(その1) −−− パラダイス鎖国編‐Tech Mom from Silicon Valley
「国家の品格」是々非々(その2) --- 格差社会編‐Tech Mom from Silicon Valley

僕はアメリカが大好きだ。本気であの国に恋している。あの国の文化と音楽に。

ブルース。ソウル。ジャズ。フォーク。ロックンロール。ディスコ。ヒップホップ。ハウス。テクノ。

僕はこれらの素晴しい音楽と、それを生み出した人々、それを支えてきた人々、そして、そうした人々を生み出した社会や文化を羨望の目で見てきた。

「ここは実験場なんだ。今まで誰も実現できなかったことを実現させる為の実験場。それがアメリカ。」

こう話すロックバンドのヴォーカリストを、僕は羨望の眼差しで見つめる。例え、それがイラク戦争の真っ最中だったとしても。

実のところ、僕はアメリカの音楽にレイプされて以来、ずっとそいつに夢中なのだ。(時々はイギリスやドイツやフランス、最近はノルウェーアイスランド、ブラジル、チリ、ジャマイカに浮気するけど。もちろん日本も。)

よく「日本人なんだから日本の文化や歴史をもっと知るべきだ」という人がいる。例の「国家の品格」もどうやらそういう本らしい(興味がないので中身を全然知らない)。

でもどうなんだろう。どっちにしろレイプされていることに変わりはないんじゃないだろうか。相手が外国人が、それとも昔の日本人か、その違いでしかないような気がする。その両者の差異は、「地理」によって離されるか、「時間」によって離されるかという程度の違いしかない。「連続性」という意味においては、どちらも等価だと僕は考える。何百年も前の日本人と、今海の向こうで暮らしている外国人と、どっちの方がシンパシーを感じるか。僕は間違いなく後者だ。

例えばイジメに悩む男の子の事を、「日本の文化や歴史」とやらは救ってくれるのかな。もっともらしい格言やエピソードは豊富かもしれないけれど、それが本当に役に立つのだろうか。でも、ボブ・ディランの声ならもしかしたら彼を救うことが出来るかもしれない。トッド・ラングレンなら彼の孤独を癒すことが出来るかもしれない。マイケル・スタイプなら彼に立ち向かう勇気を与えることが出来るかもしれない。カート・コバーンなら彼を叫ばせることが出来るかもしれない。ビリー・ジョーなら彼をパレードで大喜びさせることが出来るかもしれない。

セクシャリティに悩む女の子にとって、「日本の文化や歴史」は自身を誇る為の要素になり得るのだろうか。逆に抑圧の要因になるんじゃないか。それよりも僕はNYのゲイ・カルチャーを紹介してあげたいと思う。あの「パラダイス・ガレージ」の伝説を。文化・人種の障壁を取り払うことによって全ての人を虜にしたラリー・レヴァンのプレイを。

本当に必要なものは、「ここ」に揃っているわけではないのだ。アクセスできる回路は無限に存在するのに、何故わざわざその範囲を限定するようなことをするのか、僕には理解できない。

「日本人なんだから日本の文化や歴史をもっと知るべきだ」という人の多くは、それを絶対不可侵なものとして、後生大事に抱えているように見える。でも僕は、「文化や歴史」は他者に差し出してこそ価値があるんじゃ無いかと思う。

「文化・歴史」はつまるところ遺伝子だ。誰かに何かを残す為の遺伝子。でもそれをただ抱えているだけでは意味が無いのだ。自然がそうであるように、更新されない遺伝子はやがて淘汰される。遺伝子は、後世に「そのままの姿」で残ることを絶対に許されない。「他者の遺伝子」と交わらなければ、その断片を残すことすら許されないのだ。

どちらにせよ、純粋培養されたわけではない僕らも既に「歴史の遺児」であり「混血児」である。であるならば、既に汚れてしまった遺伝子を抱え込むことよりも、むしろ他の遺伝子との出会いを期待する。アメリカの音楽がそのようにして生み出されたように、僕らは「歴史・文化」を守るのではなく、積極的に他者に差し出し、自らも取り込むべきだ。その結果生まれるものは、「日本の世界的地位」なんてものより遥かに価値のある「新しい何か」であるのだから。