「WEB上のコミュニケーション」すらまともに取れない人が路上に来ても邪魔なだけかもね。(id:ululunさんのあんまりな誤読に添えて。)

「路上で」コミュニケーションをしたがるid:inumashはウエブログを閉鎖すればいいのに-煩悩是道場

この前のエントリで「サウンドデモ」に関する話は一段落とか思ってたら、id:ululunさんからどう考えても「悪意ある誤読」の結果としか思えないTBが送られてきていて驚愕した。

それなら何故あなたはウエブログをやっているのだ。

「路上で」が手放せない事をウエブ上に書いて「オレの土俵に来い」とけしかけている姿があさましく、ペラいものにしか映らないんだよ。

「路上」だけコミュニケーションをしたい。

http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060917


一体いつ誰が「WEB上のコミュニケーション」を否定したんでしょうか?僕そんなこと書きましたっけ?

どうして路上という場所に拘る?どうして路上以外の場所を否定する?

http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060917


いや、だから否定してないって。拘ってはいるけど。

「WEB上のコミュニケーション(公共圏)」と「路上(リアル)のコミュニケーション(公共圏)」を混同して捉えるなんて愚の骨頂でしょう。もし「リアルなコミュニケーション」の作法がそのままWEBにトレースできるなら、WEBでのコミュニケーション論やらブログ論やらがこんなに盛り上がるはず無いでしょう。WEBにはWEBでしか成立し得ないコミュニケーションがあり、同様にそこでしか成立しない公共圏が存在する。それは自明ですよね?

なら、なぜその概念を路上に持ち込めないんですか?路上には路上でしか成立し得ないコミュニケーションがあり、公共圏が存在するなんて、ちょっと考えれば容易に理解できることでしょうに。それとも、「植物人間」とやらはそんな思考能力すら失ってしまうものなのですか?『ブログ脳』とか、笑って流せる類の誤読じゃないですよ、これ。

大体、今回の件では、その「WEB上のコミュニケーション」ですらululunさんはまともに取れてないじゃないですか。

inumash
『ululunさん

コメント有難うございます。

「地元だから煩いし、秋祭りがある」ってことはデモに参加しない理由にはなっても反対する理由にはならないですよ。なら、「秋祭りは煩いから中止しろ」って言説にも正当性が生まれてしまうことになります。お祭りって、基本的には「合法的に騒ぐもの」ですよね?

トラバ先の煽り文句だけ見ると確かにそう見えなくもないけど、集客のベースにネットを採用してる時点でリアル<ネットという単純な構図は想定してないと思いますよ。ただ、役割を使い分けているだけだと思います。現代の左派思想に通じている人で、「ネットなんて駄目だ」なんて思い込んでる人はそうはいないと思いますよ。ありゃ単なるアジでしょう。その質が高いか低いかは別として。

それから、ブログで「天皇反対」って叫んでもせいぜいネットイナゴが群がって炎上するだけですけど、リアルでそれやったら警察は来るし下手すりゃ右翼に殴られますよ。その環境を自らが体験するだけでも意味はあると思いますよ。権力やシステムの可視化ってのも、デモの重要な要素だと思います。』

inumash
『(続き)

デモがもし「見せる側」だとするなら、なぜ「見る側」の姿勢は問題にされないんですか?同じ公共空間を共有しているはずなのに、なぜ「見る側」「見せる側」という単純な分類が成立するんです?「見る側」は同時に「見せる側」でもあるし、その逆もまた然りですよ。その言説には、「分断統治」と同じ匂いを感じるんですが。

「家賃のアジは無いほうがいい」というのは意見としては真っ当ですが、それは今回のサウンドデモを否定する要素にはならないと思います。主催者も本気でそんなこと主張しているわけではないですし。

やっぱり、仰る通り感情が先行されていた感は否めないですw

再度、整理された意見を期待しています。』

想像力はベッドルームと路上から


これに対する回答を頂いてないんですがどうでしょう。それとも、これに対する回答が上のエントリなんですか?

それから、

quawabe
『{今回のデモンストレーションの意義、意味、趣旨を頭の悪い私にきちんとわかるように説明してください。}

ziprocker君のとこに引用されてもいる僕の日記をお読みになってもお分かりになりませんかね。
あと「政治(la politique)」と「政治的なるもの(le politique)」の峻別が必要です。端的にいってあなたの主張は政治的なるものであって、政治をご理解していないと思われます。』 (2006/09/14 23:49)

http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060914/think060914#c


これに対する反論がなされた形跡が見当たりませんが、僕の見えないところ(mixiとかメールとかメッセ)で反論されたのでしょうか?それとも反論できない程的を得た指摘だったのでしょうか?

今回の件に関して、少なくとも僕は僕自身やその周辺に関する言説に対して、できる限り真摯な対応をしたつもりなのだけど、それでも「WEB上のコミュニケーションを否定している」とでも言うのでしょうか?「WEB上のコミュニケーション」を否定するなら、コメントやTBにわざわざ対応する必要なんてないですよね。どこかの誰かさんみたいに、都合の悪いコメントは無視すればいいんだから。コミュニケーションがまともに取れていない(取ろうとしていない)のは一体どっちでしょうね?

ツッコミビリティ」だかなんだか知りませんけど、ちゃんと流れを追いかけている人が見たら、「ツッコミ」どころか明らかな「ボケ」ですよ、これ。あ、そうか。「ツッコミビリティ」ではなくて、「“ツッこまれ”ビリティ」だってことか。まいったな。高尚すぎて気が付きませんでしたよ。

端的に言って、僕は「WEB上のコミュニケーション(公共圏)」も、「路上(リアル)のコミュニケーション(公共圏)」も両方あればいいと思います。そんなの自明でしょう。ただ、現状認識として、WEBにおける検閲はまだ表面化していないが、路上における検閲は既にかなりの規模・圧力となっている事実があり、まずはそれに対処しなければならないんじゃないか、と思っているのが一点。

それから、「WEB上のコミュニケーション」の快楽(意味)と、「路上のコミュニケーション」の快楽(意味)は別種のものであって、どちらかを一方を選択せざるを得ない状況にはしたくはない。そのどちらもで、自分の好きなとき、好きなように存在し主張できる環境をつくりたい。というか、そういう社会になったらいいなぁ、と思っているだけなんですけど。僕が『路上>WEB』論者だなんて、一体どこから導き出された解答なんでしょう?id:ziprockerさんのエントリは、ありゃ単なる煽りでしょって、コメントに書きましたよね。

今回の件で、id:Dryadさんとのやり取りや、id:id:kir_royalさんの視点は本当に意味のあるものとして僕の中に残ったし、id:quawabeさんのおかげで「サウンドデモ」という形式への新しい視点を得ることができた。それに、id:michiakiさんみたいな反応を引き出せたことは「WEB上のコミュニケーション」の成果であることは確かだと思う。

このような成果がある限り僕はBLOGをやめないだろうし、それを更に路上に持ち込んで新しい視点や価値観を得、またWEBにフィードバックするという作業をやめることも無い。どこかの誰かさんより、僕はよっぽど有効に「WEB上のコミュニケーション」を活用できていると思うから。