「出産機械」が本当に開発された社会を想像してみる。

産経ニュース
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/913297.html
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/ff835f5c6f826317578a1209e35c5bd5

えー、まずは端的に。

この問題に対して、大臣の辞任要求云々はともかく、それぞれの少子化対策案を喧伝する絶好の機会なはずなのですが、それをまったくせず、ただただ「揚げ足取り」しか行うことのできない政党に政権を担う資格はありません。以上。

マーケティング的に見ても最高のタイミングなはずなんですけどね。出すなら「辞任要求」よりも「政策提言」とかでしょ。ま、「本気で」そんなこと考えていそうな人はいませんね。政治家として馬鹿なら人間としてもゴミ。ったく、使えねぇな。


夢の少子化対策 - 内田樹の研究室
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1634184641/E20070203014754/index.html
産む機会、産む機械 - あんとに庵◆備忘録
uumin3の日記-人間機械論

さて。

柳沢大臣の発言が政治家としての思慮の浅さを発揮する軽率な発言であり、かつ自身の思想性に基いたものであることは確かだろうが(とはいえ、批判する側の「女性議員」も大して変わらないのだけど)、んじゃあ、彼の言う「産む機械」、つまり「出産機能」が外部化されたら社会はどうなるのだろうか。

恐らく、「機械」という言葉への反発は、主に「女性」の「一機能」をして「機械」と表現することの(被)差別意識から生まれるものだと思うが、残念ながら彼女(彼)等は、「出産を機械に代替させる可能性」には頭を働かせてはいないようだ。

言うまでもなく現状では単なる空想に過ぎないのだけれど、将来的にこの技術が確立し、外部化された「出産装置」が開発されないとも言い切れない(だって、「クローン」だって現実のものになったんだぜ?)。

ちょっと想像してみよう。ちなみに、「遺伝子操作」とかそういう類の概念はややこしいので省く。

「出産」という「機能」は言うまでも無く社会にとっても不可欠な「機能」であり、同時に女性のみが行える、ある種の「特権」である。

まず「出産」を社会的機能として捉えた場合、その不可欠な「機能」を「人間」という「不完全な」身体(装置)及び意思(プログラム)に全て委ねてしまうのはやはりリスクが大きい。

「出産」そのものが身体に与える負担は非常に大きいし、その精神的負担から流産する可能性も高い。当然、妊娠→出産過程では母体は安静にしなければならないから、その間の生産性は著しく落ちるわけだし、また「個人」の行動の自由度も大きく制限される。産科医や助産婦など、必要とされる人的リソースも非常に大きい。

「出産機能」を「外部化」することで、これらの課題はクリアされる。

更に、「出産機能」を「外部化」することのメリットもある。

まず、「身体」とは違い、「機械」は容易に生産できる。必要とされる分だけ生産することで、「子供が欲しい親」の欲求を過不足なく満たすことが出来る。更に、通常の身体を介した出産のように、期間を空ける必要もない。言い方は悪いが、欲しいとき、欲しいだけ子供を出産させることができるのだ。当然、機械が故障したら修理すれば使えるわけだし、壊れたら新しいものと取り替えればいい。耐用年数も人間の「それ」よりも長いだろう(使用頻度にもよると思うが)。

逆にリスクは、「機械」による育成及び「機械の故障」による胎児の影響がどのようなものか現状では想定できないのと、その責任の所在と対処方、また「機械」に全面的に委譲することにより、震災など大規模災害対策や設備トラブル対策など、社会的インフラに対する負担増加などが挙げられるだろう。

以上を踏まえた上で個人的な感想を述べると、「社会的機能」としてみた場合の「出産」は、「出産装置」として外部化した方がいいという結論になる。

「機械化することのリスク」と「身体に任せることのリスク」はせいぜいトントンだろうし(もちろん、「一元化」することでリスクの拡大を産む可能性もあるが、そんなの出産に限った話じゃない)、むしろ、得られるメリットの方が大きいのではないか。

何より、出産による「身体的リスク」と「社会的リスク」、その双方から解放できるのは、この方法以外にないのではないか。こと「出産」に関しては女性のリスク負担が過剰に大きいことは明白であり、制度的に補填をするのにも限界がある。

なら、その「機能」そのものを女性から切り離し、社会によって担わせることによって、現在女性が抱えているリスクの多くを(物理的には)解消することができるのではないだろうか。出産の為に仕事を休む必要もないのだし、身体的ダメージを負う心配も無くこれまで通りの体で仕事や育児を行うことができるのだ。

代理母制度」の問題などもあるが、あれは「他者」がそれを行うから問題なのであり、完全に「機械化」してしまえばその問題も解消されるだろう。倫理的な問題がクリアされさえすれば、制度的には何の問題もない。

では、これが本当に実現されたとして、当の女性自身はこの制度を受け入れるのだろうか。

上に書いたとおり、現状、「出産」という機能は女性のみが行えるある種の「特権」である。ではその「特権」を手放すことに同意する女性はどれくらいいるだろうか。

残念ながらこれは僕には分からない。僕は女性ではないし、フェミニズムの専門家でもないから。もしかしたら、僕が知らないだけで、既にフェミニズムの領域では語りつくされているテーマなのかもしれない。

ただ、フェミニズムを語る際の「女性は産む性であること」という枕詞を排除することにはなるだろうと思う。これはある種の「踏み絵」として機能しそうだ(このあたり、名指しで大変申し訳ないけれどid:kmizusawaさんの意見を是非聞いてみたい)。

個人的には、「女性を『産む性』から解放する為に政府は『人工子宮』の開発を急げ!!」なんてことを言うフェミニストの人がいたら大喜びで賛同するのだけれど。

もしかしたら、柳沢発言の真意は、「女性をどう見ているか」ではなく、「出産という行為をどう見ているか」が現れただけじゃないかという気がしないでもない。