ふとい は正義!〜肥満に悩む万国の“フトレタリア”に告ぐ!〜

去年一番好きだったアーティスト(残念ながらPerfumeではない)に、The Gossipというバンドがいる。


Standing in the Way of Control

Standing in the Way of Control


女性1名、男性2名のディスコ・パンクバンドで、ヴォーカルのべス・ディットー(NMEの2006年クールリストでも1位に選ばれた)は、レズビアンであることを公言し、女性解放や同性愛者差別の問題に対して積極的に発言するだけでなく楽曲のテーマとしても良く扱っている。

シングル「STANDING IN The WAY OF CONTROL」は、ブッシュ政権が掲げる堕胎禁止や同姓愛禁止といった宗教的保守主義政策に対する批判をソウルフルに歌い上げる傑作で、2006年の個人的なベスト・トラック。



さて、フェミニズムや同性愛者の解放運動へ強いコミットメントを表明している彼女なのだが、彼女の主張はそれだけに留まらない。

見ての通り、彼女はかなり豊満な体つきをしているが、それに対してこんなことを語っている。

何が可笑しいって、みんなはデブのことをマイノリティ扱いしてるけど、でも実際にはデブのほうがマジョリティなんだってこと。どうしてデブは一致団結しないのか、いつもそれが不思議だわ。だって、デブこそマジョリティなわけでしょ。いわゆる「太め」の人は、何かとケチをつけられるわよね。私は「太め」という言い方が大嫌いなんだけど。だって、それって、人のあるべきスタンダードを定めてるみたいなもんでしょ。ところが、今やこの国では、私たちこそがマジョリティなのよ。本当に可笑しいわよね。世界に一人たりともデブがいてはいけないみたいな扱いをされるけど、そういう扱いをすることこそを恥ずべきなのよ。実際にはほとんどの人がデブなんだもの。

PopMatters(英語)

肥満が社会問題化して久しいアメリカにあって、「デブであること」を自身のアイデンティティとして意識し行動しようという「デブ解放運動」が存在するそうで、彼女はそのアイコンとしても機能しているらしい。実際に「太った女性の為のファッションガイド」を出版する計画もあるそうだ。

「健康問題」としての肥満はともかく、社会的に定義される「あるべき姿」という概念は、過去様々な悲劇を生んできた。ナチスの例はもちろん、ハンセン病や障害者差別、あるいは人種差別の背景にあるのもこの概念に他ならない。

更に、現在のように高度化した消費社会では、その「あるべき姿」の定義すら商品によって定められてしまうという恐ろしさがある。

例えば去年、様々な国でファッションモデルの「痩せすぎ」を規制するニュースが話題になったけれど、ファッションモデルの「過剰な細さ」というのは、イデオロギー的な「正しさ」ではなく服飾(商品)を見栄え良くする為の「ディスプレイ」として要請されたものだろう(ボードリヤールを読んでくれ)。

だから、「肥満」を単なる健康問題に回収してしまうのはやはり問題があるような気がする。単に健康問題だとしたら「痩せる」以外の方法だってあるわけで(「健康的なデブ」だった成立するでしょ?)。

「スーパーサイズ・ミー」のような一元的な問題提起の方法もあるのだけれど、ダイエット商品なんかを絡めて「ボウリング・フォー・コロンバイン」のように「恐怖と消費の一大キャンペーン」としてそのサイクルを見る方がより現実的だろう。

このように考えると、「デブ」という蔑称に関して、より深く考えてみる必要性が見えてくる。

そう、多分「非モテ」なんかよりもよっぽど一般的な問題として機能するように思うのだけれど。

消費至上主義と物質社会の亡者共に虐げられてきた全てのデブ達よ!!

君達は決して醜くなどない!!その醜美を決めるのは商品の奴隷と化した彼等ではない!!

人間らしい魂と肉体を持った我々こそがその醜美を決定する存在なのだ!!

虐げられてきた全てのデブ達よ!!

今こそ自らの肉体を曝け出し、その美しさを彼等に見せつけるのだ!!

そう!!彼女のように!!


万国のフトレタリアートよ!!その肉体を解放せよ!!

さて、体重も80キロを超えたことだし、「デブ解放デモ」でもやりますかね。これに対抗して。