「イデオロギーの敗北」と「趣味の勝利」〜取りあえず、「アキハバラ解放デモ」を全肯定しておこう〜

【ニュース系】
6・30アキハバラ解放デモ 女装・やらないか・ハルヒいろいろ 400人?以上が参加 - アキバBlog
アニメとアキバ系カルチャーの総合情報サイト - アキバ総研

【ヲチ系】
http://jabro.jp/Entry/236/
今日の秋葉原界隈~「6・30アキハバラ解放デモ」見学記 : 筆不精者の雑彙
「6・30アキハバラ解放デモ」極私的総括 或いは「井ノ原春陽の憂鬱」 : 筆不精者の雑彙
http://d.hatena.ne.jp/plummet/20070701/p1
2007-06-30 - Messhall@暫定避難

2chまとめ】
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/997568.html


毎度毎度のデモ擁護エントリ。

僕は最後尾をまったりくっついていっただけだけど、集合場所の公園からしてそのカオスっぷりに大笑いしてしまった。

僕の参加した中で、(見た目からして)ここまで自己主張が激しい人達が、全く統一感のないまま集まったデモは過去経験がない。雨宮処凛さんとか、素人の乱関連の他のデモで見たことある人もたくさんいたのだけれど、完全に埋没しているというか喰われていた状態。どいつもこいつもキャラが濃すぎる。

そもそも、統一した「政治的声明」なんてあってないようなもんで、各々が好き勝手に自分の言いたいことを言っている/やっているだけだったけど、それは大した問題じゃない。確かにグダグダだった部分もあるけど、それは単に(サウンドなんかの問題で)参加者に統一して訴える仕掛けが使えなかったからってところに原因があるわけで、別に「イデオロギー(主義主張)を統一すること」だけが「一体感」を演出する方法じゃないから。それとは別の言語(音楽とかファッションとか)を使って、共時性が演出できればいいわけだからさ。

だから、主催者の主義主張が云々とか言ってる人たちは的外れね。「主催者」が言う「革命」とか「解放」なんて言葉を額面通り受け取る必要なんてないでしょ。そんなもん、とうの昔に実効性をなくしてる言葉なわけで、それを「あえて」表明するってのは、「このデモは伊達と酔狂で楽しんでください」っていう意志表示だと解釈しちまえばいいんだから。

そもそも、「デモ」を「公共空間」と考えるならば、別に主催者の主張に沿う必要なんてなくて、個々の判断で好きなことをやっちまっていいわけだろ。でもって、そういう意味で、「あの空間」は間違いなく「解放」されてたわけで、(意図的かそれとも偶然かはともかく)『公共空間である街路を参加者の手で解放させた』主催者の目論見は成功だったと思うよ。

あと、「中核派が混じっていて云々」という言説に関しては、

 もう段々面倒になってきたのでいちいちリンクを張る気力が失せていますが、今回のデモに「中核派」が関っているのだと主張するネット上の声は枚挙に暇が無いようです。しかしでは、具体的に中核派の誰それがその場に居た、であるとか、古澤書記長の活動のこのようなところに中核派の影響が見て取れる、といった指摘は管見の限りではないようです。結局「なんとなく」なんですね。

「6・30アキハバラ解放デモ」極私的総括 或いは「井ノ原春陽の憂鬱」 : 筆不精者の雑彙

という指摘が正解。個人的には、ここまで組織性のない奴らが思いつきで始めたこのデモに、500人近くが集まったって事実だけで痛快極まりないんだけどね。はっきり言って、そんなイデオロギー臭い「本物」が関わってたら、こんなグダグダのデモになるわけないじゃん。

ただ、以前自由と生存のメーデーでのデモに感じた懸念は、ここでも感じたというのは事実。それでも、今回のデモに関しては僕なりの回答が出ていて、一言に「デモ」と言っても「切実さ」を売りに出した方がいいケースとそうでないケースがあって、今回は明らかに後者だということ。

だってさ、『深刻な顔したオタクが「自分の趣味を認めろ!」と主張するデモ』なんて誰も参加したくないでしょう。問題のベースが「趣味」なんだから、徹底して楽しめるようにするのが正解だと思う。

ちなみに、id:kir_royalさんが今回のデモへの非難についてmixiで書いていて、それがかなり面白かったので一部引用する(許可済)。

しかし、アレだねぇ。
オタクは全共闘の子孫なんで内ゲバ大好きなのはわかるけど、2ちゃんや痛ニュでの叩かれっぷりは酷いなぁ。
まぁ、2ちゃんでは叩かれるだろうなぁ、とは思っていたが予想以上だわ。やっぱ自分達と近い者が気に食わない事しているのがよっぽど腹立ったんだろうか?近親憎悪ってやつかねぇ。
で、叩いてる連中の意見でいくつか気になったのが、デモに対してのイメージと、オタクに対してのイメージ。

まず、デモに対して物凄く狭い意味でデモを認識しているわな。「主張がわかりづらい」だとか、「統一されてないない」とか、なんつ〜かきっと生真面目な前世紀のデモしか知らないし、デモとはこういうものだっていう固定観念ができちゃってんだろうなぁ、そういう意味では年老いた規制左翼以上に、デモの認識が古いわ。

で、オタクのイメージに関しては、「こんなのオタクじゃない」云々ってのと「オタクが誤解される」云々ってのが目立ったわな。
まず「こんなのオタクじゃない」言説だけど、オタクの定義なんてあってないようなものなのに、俺定義を持ち出して批判してんだから、なんともだよなぁ・・。
そんで「オタクが誤解される」云々は、もうお前等どれだけ自意識過剰だよwwwwwって突っ込みたくなった。

的確すぎ(笑)

最後に、何回も同じことを繰り返すけど、「街路」という公共の場所で「個人的な主義主張」を発露させるって行為自体が既に政治性を帯びている。それがどれほど個人的な感情の発露であったとしても、「公共空間」に持ち出された瞬間、その行為、そしてそれを見た人の態度ひとつひとつが「政治的なもの」として扱われる。だからこそ、「デモ」に関して語るとき、「デモを行う側」だけでなく、「それを眺める側」の政治的な態度も同時に問われているということを考えなければならない。

そう、真に問われているのは、それを眺めている「貴方」の行動なんだぜ。