『自分のオタク/サブカル文化圏がsuperiorでなければ困る人達』の源泉

自分のオタク/サブカル文化圏がsuperiorでなければ困る人達 - シロクマの屑籠

「駄目だ駄目だ駄目だ、superiorじゃない、頭使わないコンテンツは俺の文化圏には不要!!」とかいちいち目くじらを立ててまわるという態度をとる人は、一体全体何を考えているのだろうか。

これって所為「業界人」の典型的な態度じゃないのかな。『ロックは“ただの音楽”じゃない!』とかね。

クリエイターもそうだけど、その周辺にいるプロデューサーとかディレクター、あとは批評家とか、そういう人達がよく使う言説だよね。もちろん、その目的はコンテンツの評価を背景に、自分たちや、自分たちの所属する業界/文化圏の影響力の強化して、社会的/経済的リソースの獲得量を増加させることなわけだけれど。

んでもって、彼らが「superiorであること」を訴求/要求するベースには、単純化すると『僕たちの文化圏はこんなに素晴らしいんですよ!』という「文化圏“外部”での市場の拡大」と、『お前らとはこの文化圏に対する真剣味が違うんだよ!』という「文化圏“内部”での差別化」の意味が込められてるように見える。

で、「業界人」でもないのに(経済的/社会的メリットもないのに)「それ」を行う人ってのは、単にその「業界人」の態度/言説をトレースしてるだけなんじゃないかな。

もちろん、彼らだけじゃなくて、「superiorであるべき」という言説を批判しつつ、『市場/ユーザーに受け入れられて(売れて)ナンボでしょ?』とか言う「非業界人」にも同じことを思うんだよね。そもそも、その文化圏がsuperiorだろうがなかろうが、あるいは一般に受け入れられようがなかろうが、「いちユーザー」にとっては個々のコンテンツとの関係性が全てだし、“文化圏”や“市場”云々なんてものはその背景に過ぎないわけで。

ただ、消費社会における「ブランド」と同じで、そういった「背景」と思いっきり戯れるのが楽しいのは事実。それが“文化圏”の向上や拡大に寄与するかというと話は別だけれど、手軽に充足感を味わう方法としては悪くないと思う。

個人的にはただフラットにコンテンツを受容するよりも、『ロックは世界を変える!!』なんて言いながら『このマンチェスター出身の5人組がロックの歴史に革命を起こす!!』とかいう胡散臭いキャッチコピーに騙されて踊りまくったり、『サマソニなんてフェスじゃない!本当のフェスはフジロックだけ!』とか悪態ついたりしてるのもなかなか楽しいと思うけど。

ま、ほとんどの人は“わかっていて”これを楽しんでるんだと思うんだけど、中には“ベタ”な人もいるから。確かにそういう人はめんどくさそうだとは思う。