good hopeさんに足りなかったのは「螺旋力」

ネタじゃないよ、一応。

正直、「あの程度」のブクマコメでブログ閉じるならブログなんて公開しなきゃいいと思うので(そんなに無茶なdisしてる人いなかったと思うし)、

はてなグループ

これはそのままgood hopeさんにも適応されるべき言説じゃないかと思うんだけどな。今回の件で「取引ができなかった」のは彼も同じでしょう。過去、「無断リンク禁止」って大騒ぎしていた人たちと同じく。

good hopeさんには悪いけど、批判的なブクマユーザーにとってgood hopeさん(とその言説)は、わざわざ取引をしてwin‐winの関係を築かなければならないような存在じゃなかった、ということに尽きると思う。

そもそも、win‐winの関係が理想とされるのはあくまで「個対個」の関係性においての話であって、今回のように既にかなりの数の構成員がいるコミュニティを相手にする場合はそれが「理想」となるとは限らない。ある程度の構成員を抱えたコミュニティなら、外部者を懐柔して内に引き込むよりも、外部者を「敵」として排除した方が効果が高いこともあるからね。それがコミュニティのベースとなるシステム(ツール)の存在を脅かす輩なら尚更。

基本的に、「無断リンク禁止」の論陣を張る人に関して思うのが、一様に過去のやりとりを参照してないように見えること。だから、例のkanoseさんの「bot発言」って、単に「同じ発言/行動しかしない」ということだけじゃなくて、「論理的/技術的な蓄積がなされていない」っていう部分が肝なんじゃないかと思う。

少なくとも、「リンクフリー」という概念はWWWの構想段階から様々な技術的/学術的蓄積を経て形成されている概念であって、「はてな村」なんていう特殊な集団のローカルルールではないってことくらいは頭に入れておいた方がいい。んでもって、「無断リンク禁止派」がやらなきゃならないのは、それに対抗するための言説を構築する、ということになるはずなんだけど、それがいかにもお粗末というか、判を押したように「人が嫌がることはやめろ」という倫理的言説を繰り返すだけ。それでは、過去数十年に渡って蓄積されてきたリンクフリーの正当性や、実際にそのツールを使うことで得られる利便性を覆して行動を抑制する、あるいは言説を正当化させる要因にはならない。

過去の議論なんかを眺めると、『相手の事情を理解し、自分の目的を理解させ、お互いが得をできる方法を検討しあう』という行為をしていたのが「無断リンク推奨派」であったことが良くわかる。リンクフリーの思想の説明からそのメリットとデメリット、(無断リンクを不可能にする)代替ツールの提案までひっくるめて、かなりのリソースを提供している。でも、「無断リンク禁止派」はまるでそのような提案がなかったかのように同じ主張を繰り返している。これでは、議論が同じ場所を延々と周り続けるだけで、話は何ひとつ先に進まない(この指摘も何度も行われている類のものだと思うけど)。

だから、good hopeさんが「無断リンク」や「ネガティブコメント」を問題だと思うのなら、様々な批判を受け止めた上で、ここに留まり、「円環」になってしまっている過去の議論を別のフィールドに押し上げ「螺旋」にする努力をするべきだったと思う。それならもっと違った結末になっていたと思うし、僕も賛同するのだけれど、その覚悟も努力も足りなかった、ということなんだろうなぁ。なら、僕は他者の中途半端な主観なんかより、「理論の蓄積」と「自分の利便性」を優先する。ま、いちいち「無断リンク禁止論」を叩きはしないだろうけど、「何バカなこと言ってんだろうね?」とは思うし、容認すべきだとも思わない。


んで、今まで無断リンク問題にもgood hopeさんにも言及しなかった僕が何でわざわざこんなこと書いているかというと、上のMarco11さんの物言いがフェアじゃないと思ったから。

一部の「お前が言うな!」みたいなツッコミはまあ当然として、good hopeさんを一方的に「弱者」として扱い、一部のクリッパーを(その言説の正当性は無視して)を叩く目的でしか「取引」という概念を使用していないあたり、随分と便利な物言いだなぁ、と正直思う。

good hopeさんの個人的状況なりパーソナリティなりを尊重する人が、何故「無断リンク推奨派」が過去蓄積してきた思想なり論理なり技術なりを参照しろと彼に言えないのかね。win-winの関係が『相手の事情を理解し、自分の目的を理解させ、お互いが得をできる方法を検討しあった結果』得られるのならば、それが求められるのは、彼の批判者だけではなくgood hopeさん自身に対してもでしょう。

相手の状況を想像する能力に欠けていたのはgood hopeさんも同じ。過去の議論をまるで参照せず、自身の主観による主張を繰り返しただけだったわけだし、それは批判されても仕方ないんじゃないのかなぁ。趣旨には賛同するが、言説の使い方がどうにもこうにも恣意的で素直に賛同できないんだよね。

それから、good hopeさんを「弱者」に仕立てているあたりもフェアじゃないと思った理由のひとつ。

彼の言説や態度が自身の「脆弱さ」に起因するという説明を、本当に彼が望むのだろうか。「彼の批判者」に対する攻撃にはなっても、彼個人の正当性を裏付けることにはならないし、逆に彼の言説を貶めることになると思うのだけど。勝手に代弁しちゃっていいのかしらね?と思うんだが。


とか書いてたら似たようなエントリが先にあがってた。

http://d.hatena.ne.jp/pbh/20071004/1191474543


しかしこの話はすればするほど本質的な問題からかけ離れていくね。なんでだろうなぁ。