勝敗が決した戦場で幽霊と闘うのは誰?獲物を求めて彷徨う亡者は誰?

「勝敗」自体がどうでもいい - 模型とかキャラ弁とか歴史とか
「正しさ」の力 - 素通りできなかった時のために

「詭弁として機能するから」その問い立てはするな、という要請には同意できませんよ。

「詭弁として機能する」という部分はまさに問い立てした僕自身が「左派の正当性は明らか」という前提を繰り返し示してる時点でクリアされることではないかと思うのですが。その先でこの問いを「悪用」する輩には都度指摘すれば済む話ではないですか?

逆に、その「前提の提示」すら認めないというのであれば、「何かを問う」ことは果てしなく困難な作業になります。これはつまり「問うな」と要請しているに等しい。それには同意できません。


そして、本人がどう思ってるは分かりませんが、D_Amonさんは勝敗が決したはずの「正誤の戦場」で僕と闘っている。でも僕は「正誤の戦場」には最初からいないんです。

そもそもD_Amonさんの「詭弁として機能するから」という理由は後付です。彼は僕の問い立てを最初からミスリードしています。

2008年04月02日 D_Amon ネット, コレジャナイロボ

はーい、運動論きました。事実と論理の一貫性を問題にしていたはずが、イデオロギーと運動論の話にずらすというよくあるパターン。そうやって自己責任論に変換。ある意味、事実と論理の一貫性において雌雄が決した証

はてなブックマーク - 今回のチベット問題に関する「左派の失策」は素直に認めてもいいんじゃないかなー。 - 想像力はベッドルームと路上から

それに対して、僕は「彼等(批判者/右派)に正当性がないなんてことは明らかなので、前提として扱いましたが」と回答しています。

“ずらす”とか“雌雄が決した”という以前に、「彼等」に一貫性も正当性もないなんてことは、(まともな知性を持ち合わせてる人間なら)例のデモの惨状を見るだけで簡単に理解できる事柄じゃないですかね。リンク元でも充分過ぎるほど論破されてるので前提扱いしてたんですけど、なんか違います?

今回のチベット問題に関する「左派の失策」は素直に認めてもいいんじゃないかなー。 - 想像力はベッドルームと路上から

本来ならここで終わりのはず。「正誤の問題からのすり替えだ。」→「いいえ、正誤の問題は既に決着しています。左派の正当性は確保されていると思いますよ。」と答えているわけですから。でも彼はそのミスリードをまだ改めようとしない。だから未だに「これは詭弁だ」と「正誤の戦場」から叫んでいる。

「正誤の問題は決着が着いた」ということはまさにD_Amonさん自身が宣言していることです。僕は何度もそこに同意を示しています。そこに認識の相違はない。だから、今現在「正誤の戦場」に敵はいないんです。僕もそこにはいない。「左派の正当性」を全面的に認めているわけですから。

ですが、自ら「左派の正当性は明らか」と勝利宣言しておきながら、D_Amonさんはその戦場から移動しようとしない。そして、僕の問い立てを全て「正誤の戦場」で判断しようとする。僕が「左派の正当性は明らか」という勝利宣言に同意しているにも関わらず、まだその戦場で僕と闘おうとしている。

だから僕は繰り返し「その戦場は勝負が決しています。次の戦場に移行しましょう。」と言っているのです。

僕はこの問いを「正誤の戦場」に差し戻すつもりはない。そこは決着がついているんですから。むしろ、この問いを「正誤の戦場」に差し戻そうとしているのはD_Amonさんの方でしょう。「決着がついた戦場」で敵を求めて彷徨う亡者の如く。

いつまでも「正誤の戦場」にいたいのならどうぞご自由に。ですが、僕は最初からその戦場にはいません。ですので、そこで必死に闘おうとしてもそこにいるのは僕ではありません。一体誰と闘っているのか、もう一度冷静になって考えてみては如何でしょうか。


んでもって、こういう無益な問いの応酬が、単なる左派の内輪揉めとしか映らず、周囲の支持を削ぐことにしかならない事を僕は分かっています。だから「次のアクションのことを考えませんか?」と提案したんですが、どうやらそれもお気に召さないようです。

残念ですが、これ以上対話を続けても意味がないどころか、周囲の失望を買うだけのようです。それでは本末転倒ですので、この件に関してはこの辺りにしておきます。

とっとと長野に遠征する準備でもしておかないと。