「光市母子殺害事件」に関する議論に思うこと。

ざっと眺めていて、

(1)今回の犯罪が「死刑」(最高刑)に該当するかどうか。あるいは「18歳」(当時)という年齢を考慮し量刑を減らすことが妥当かどうか。(「法の運用」の問題)

(2)捜査段階における警察機構の不備がなかったかどうか。あるいは司法の段階での審議において公正さは担保されていたのかどうか。(「警察機構・司法制度の不備」の問題)

(3)「死刑」という刑罰への懐疑。「倫理」からの懐疑と、「抑止/威嚇効果」など社会的効果への懐疑が混在する。(「法制度・刑事政策」の問題)

何というか、この3つの論点がごっちゃになって完全な空中戦と化している気がする。個々の言説だけをピックアップすればそれほどおかしくなくとも、発言者と受け手側でこの論点が食い違っているケースや、発言者が(1)を語りながら(3)の結論を引っ張ってくるみたいに「論旨の飛躍」が見られるケースもあって、現状、「議論そのもの」は完全に混乱状態にあるように見える。正直落とし所が全く見えてこないし、「議論の大筋」も見えてこない。

いや別に「好き勝手言いたいだけ」ならいいんだけど、それって木村さんの『どうすれば犯罪の被害者も加害者も生まない社会を作るのか、どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機にならなければ、私の妻と娘も、そして被告人も犬死だと思っています。』という発言を全く顧ない馬鹿の所業だし、誰もそんなことは望んでいないはずなんだから、一回冷静になってひとつひとつ論点を片付けていった方がいいと思うんだよね。

個人的な解釈として、今回の事件がこれだけ大きく扱われた要因は、加害者の「18歳」(当時)という年齢だと考えているので、まずは(1)の「法の運用」レベルから話を進めるのが妥当じゃないかと思う。

で、今回の事件の概要が「裁判で認定された通り」のものだったと仮定した場合、上記の「法の運用」レベルにおいては今回の判決は支持できるものだと個人的には考えていて、更に「18歳」という年齢は量刑の減軽要素としては原則除外していいのではないかとも思っている。

今回の議論を一通り眺めてみても、今回の判決を「支持する人」はもちろん「支持しない人」でも法の運用レベルで異議を唱えている人はほとんどいなかったし、世論の反応は言わずもがななので、この部分は比較的コンセンサスを得やすいのかなと思ってるんだけど、どうだろう?

ここでコンセンサスが得られれば、次は「警察機構・司法制度の不備」の問題から、今回の捜査手法や審議内容の検証作業に入る、という形で議論を進める気がするんですが。


あ、あと関係ないかもしれないけど、死刑肯定派も死刑反対派も互いに「ヒステリー」とか言うの止めようぜ。そういうレッテル貼りって現実に話を進める上では全く役に立たないから。各人に判断の根拠を確かめたわけでもないのに「安直な正義感だけで殺せ!と叫ぶヒステリー」とか、相手の言い分を聞かないで「被害者の人権より加害者の人権を尊重する人権馬鹿」とかさ。そういうレッテルの貼り合いはうんざりなんだよね。

うんこ投げたければ動物園のゴリラとでも投げ合ってればいいよ。相手を信頼することから始めないと、話は先に進まないと思うけど。