「長野聖火リレー」での警察の対応に違和感を感じた全ての人へ〜ジェノバから考えよう〜

■『聖火リレーin長野』全体まとめ(かなり長いよ) - 想像力はベッドルームと路上から の最終まとめとして。

長野での聖火リレーでの警察の対応に違和感を覚える人はかなり多いと思います。現地で抗議に参加した人はもちろん、ライブ中継や動画、またネットなどでその状況を確認した人の中でも、同様の違和感を感じた人は多いでしょう。

僕が一番最初にそのような違和感を感じた重要な事件があります。2001年7月に起こった、ジェノバでのG7サミットに対する抗議デモにおいて、デモに参加していた青年が治安警察によって射殺され、またその他のデモ参加者も無差別の暴力に晒された、という事件です。

7)ジェノバの流血のデモ

7月19日(木曜日)
 サミットの前日、人種差別主義、ネオナチに反対するデモが行われた。参加者は5万人、主としてイタリア人で、「国境からの自由を!」と叫んで、ジェノバ市内を行進した。デモの波は、広場、大通り、曲がりくねった路地、トンネルを埋め尽くした。事前に警察から街を離れるように言われていたジェノバ市民は、窓に吊るした洗濯物を振って、デモを歓迎した。このデモは平穏のうちに終わった。 しかしこの日、デモのスポークスパーソンやコーディネーターの多くが、治安警察によって"予防拘禁"された。リーダーシップを失ったことは、デモにとって痛手であった。このことは、翌20日、21日流血事件の背景要因となった。

7月20日(金曜日)「グローバル行動デー」
 この日のデモの性格は、「非暴力不服従」であった。というのは、前に述べたように、20日のデモの許可が下りず、"非合法デモ"になったからである。したがって、デモ参加者は、それぞれの信念に基づいて、ある程度戦闘なデモになることを覚悟していた。
 前日、ジェノバ社会フォーラムの主催団体が、「非暴力宣言」を起草した。これに対して、ほとんどのデモ参加団体が署名した。イタリア最大の「直接行動」派である「Ya Basta!」、さらに5月のミラノ・デモで名をはせた「白い作業衣」もこれに署名した。しかし、「非暴力」だけでなく、「不服従行動」の側面を無視してはならない。「不服従」というのはガンジーの哲学で、「法を破る」ということである。
 「グローバル行動デー」のデモは、正午、Carliniスタジアムを出発した。デモには、「あなたたちG8;わたしたち60億人」といったバナーが翻っていた。
 とは言っても、25万人が並んで歩いたわけではない。デモは、無数のブロックとルートによって構成された。女性・子どもたちのピンク・ブロック、老人のシルバー・ブロック、スト中の金属労働者ブロック、イタリア左派労組COBASブロック、グリーンピース・ブロックなどが、それぞれに合ったルートを歩いた。これに、国際的な救急班、弁護団、独立メディアなどが加わった。さらに、ヘルメット、ゴーグル、ガスマスク、赤・黄・白・黒・青などの防護具、救命具、救急箱などで"武装"した「白い作業衣」が、それぞれのブロックを防衛する形で配置された。
 デモは、「イエロー・ゾーン」の中心街Corso Gastaldiを進んだ。通常、イタリアのデモは非常にゆっくり歩く。人びとは、口ぐちに「ジェノバ自由区!」と叫んだ。
 午後2時15分、Via MontevideoとVia Tolemaideとの分かれ道にさしかかった。その時、北の方角に黒い煙が上がった。同時に空からヘリの轟音がとどろいた。
 突然、何の警告もなく、デモに対して空から催涙弾が降ってきた。マスクを用意していなかったほとんどのデモ隊は、涙を流しながら後退した。ただちに、救急班がマスクや、酢、水を配布した。しかし、数千人の腫れ上がった目を治療することは不可能であった。 
 防護具を備えていた「白い作業衣」が先頭に出ようとした。その時、前方からカラビニエリ機動隊が、デモに対して襲いかかってきた。
 カラビニエリはデモ隊に対して全面的な戦闘を開始した。催涙弾が水平に発射され、頭から血を流している者もいた。戦闘は、約3時間続いた。
 午後5時頃、デモ隊の1人がカラビニエリ機動隊に射殺されたというニュースが飛び込んできた。彼の名は、Carl Giulaini、23歳、ローマ生まれのジェノバの住民であった。Giulainiは、30人のグループと一緒に、「レッド・ゾーン」から200メートル離れた広場で、カラビニエリの装甲車を石と棒で攻撃していた。装甲車に近づいた彼は、赤い消火器を振り上げて、窓ガラスを壊そうとしているとき、車内から発射した2発の弾が彼の頭に命中した。カラビニエリは、実弾を配備していたのであった。

 ついに、反グローバリゼーションのデモにおいて、死者が出た。

 彼の死は、この日、起こった野蛮で、卑劣なイタリア警察の血なまぐさい弾圧の極端な例にすぎない。
 「死者が出た」という知らせに、デモ隊の中に緊張が高まり、人びとは、「殺人者!」と叫びながら、警察の車に投石した。ある者は、ごみ箱をひっくり返し、火をつけた。
 ピンク・ブロックの1人の女性が、勇敢にも「レッド・ゾーン」の鉄壁によじ登り、「垂れ幕」を吊るそうとした。ほとんど頂上にたどり着いた時、彼女は警官によって引き摺り降ろされた。
 20日の負傷者は150人に達した。うち50人近くは、ジャーナリストであった。
 

7月20日(土曜日)深夜
 カルビニエリがケネディ広場の独立メディア(IndyMedia)センターと、デモの連絡委員会(Convergence)の会場となったDiaz学校を急襲した。彼らは、棍棒でもって男女の見境なく殴りつけた。頭が割れ、骨が折れ、歯がかけ、血が壁に飛び散った。悲鳴が広場中に聞こえた。カルビニエリの殺戮は1晩中続いた。

7月21日(土曜日)「国際連帯デー」
 前日とは異なり、この日のデモには、市当局の許可が下りていた。デモの主催は「ジェノバ社会フォーラム」であった。デモの参加者の数は、20−30万人に上り、史上最大の抗議デモに膨れ上がった。
 しかし、前日死者が出たというニュースは、「平和的なデモ」を表明してきたDrop the Debtや Global Aids Allianceをパニックに追いやった。2団体は、「デモ不参加」を発表し、ジェノバから引き揚げた。この決定を不満とした英国からのDrop the Debtのメンバーは残り、デモに参加した。 デモが始まると、まず、警察は、平和的なグループと「直接行動」派との間を、巧妙に遮断した。そして平和的なデモに対して、催涙弾、放水車、棍棒などをもって、あらん限りの暴力を振るったのであった。これに対して、「白い作業衣」は、非暴力のデモ隊を保護することが出来なかった。カリビニエリは、「レッド・ゾーン」から遥か離れたところの広場で座り込みをしていたイタリアのLilliputネットワークの女性や子どもに殴りかかった。  

7月21日(土曜日)深夜
 カラビニエリは、再び、21日の深夜、「ジェノバ社会フォーラム」の本部を急襲した。「日中、暴力を働いたグループが潜んでいる」というのが捜査の口実であった。しかし、熟睡していた人びとをいきなり殴りつけ、コンピュータを破壊した。知らせを聞いて駆けつけた弁護士や国会議員の立ち入りを妨害した。約400人がケガしたまま、逮捕された。
 カラビニエリの暴力に比べて対照的であったのは、ジェノバ市の消防隊、救急隊員、赤十字のデモ隊に対する救助活動であった。実際、ジェノバ市当局は、デモに対して好意的でさえあった。

 20日、21日の2日間にわたって、カラビニエリは奇妙な行動に出た。カラビニエリの装甲車に、黒服の男が大勢乗っていた。彼らは、ドイツから参加した国際アナーキスト組織「Black Bloc」に変装していたのであった。
 この黒服の男たちは、海岸沿いの最も美しいCoroso Italiaで暴力行為を働いた。彼らは、銀行や車の販売店のウインドウを破壊し、路上の車に放火する一方、レストランを外した。「Capitalism Kills」というアナーキストのロゴを壁にスプレイまでして歩いた。不思議なことに、警察は彼らを自由に行動させた。
 さらに、カラビニエリと黒服の変装者たちは、Carliniスタディアムに帰ろうとしていた人びとを襲った。この暴力は7時間に亘って続いた。彼らが、暴力行為の合間に、カラビニエリと談笑していたという目撃証言が数多くある。ボローニアの「白い作業衣」の大男が、この黒服の男に投げ飛ばされた。この「白い作業衣」は、黒服の男は、「プロの殺し屋」であった、と証言した。

http://www.eco-link.org/jubilee/summit5.htm

※語句説明
『カラビニエリ』
『Black Bloc』
『白い作業衣』(白いツナギ運動)

この背景などに関してはここが比較的良くまとまっています。

これは警察による恣意的な暴力が生んだ最悪の例です。長野でチベット弾圧に反対する人たちが直面した事態とは比較にならないほど直接的で残虐な行為が「治安維持」の名目で行われた実例です。

この件に関しても、今回の長野の件と同様、一方的に警察を非難するできるのか、という部分で大きな論争となりました。Black Blocによる商店への破壊活動があったこと。被害者の青年が発砲した警官の乗っていた車に攻撃を加えていたこと。発砲した警官が若く経験も浅かったこと。その他様々な要素が絡み合っていましたが、発砲時以外にもデモ参加者やジャーナリストに対する暴力が横行していたことや、破壊行為を行う暴徒を恣意的に放置したこと、デモ隊やジャーナリストが本拠としていた施設を数度に渡って「夜襲」したことなどを踏まえるならば、警察の恣意性・暴力性は到底容認できないものであると思います。

また、その後のマスメディアの恣意的な報道により、青年やデモ隊の姿が歪められた形で報道されたことも注視する必要があると思います。更に言えば、このジェノバでの抗議活動が、グローバル化を続ける企業活動(資本)の動きを制限しようとするものであったことを踏まえ、この警察による暴力は「国家」だけではなく「資本」からの暴力でもある、という指摘もありました(その辺の状況を今回の長野の件と比べてみると面白いかもしれません)。

もちろん、単純に長野の事例と直結させることは安直な行為です。ですが、今回の長野の事例と、このジェノバの事例の根底にあるものは同じものだとは考えられないでしょうか。

無論、すぐさま警察機構を「敵」として認識する必要はありませんが、今回、長野でそうであったように、警察機構はその優先事項において、万人に平等に働くわけではありません(といっても常に不平等であるわけでもありませんが)。単純な話、完璧に平等な警察機構など存在しません。問題は、その「恣意性」をどこまで容認するのかということ、そしてそれをどうやってコントロールするのか、ということなのだと思います。

今回長野で警察の恣意性に直面した人、あるいはその光景を見て違和感を感じた人は、是非上のジェノバの事例について一度考えてみて下さい。


最後に。

僕は自分の過去の経験から「ジェノバ」を例に出しましたが、別に「ジェノバ」である必然はありません。「イラク反戦デモ」でもいいでしょうし「大学でのビラ配り」でもいいでしょうし「立川反戦ビラ」でもいいでしょう。「安全と表現の自由」ということで考えれば、「プリンスホテルによる日教組集会会場使用拒否」と繋げて考えてもいいかもしれません。

重要なのは、今回の長野の事例を、過去起こった/現在起こっている様々な事象とひとつひとつ丁寧に繋げて語ることではないでしょうか。

僕がこうした問題に興味を持つきっかけとなったのはジェノバですが、その根底にある問題をより深く理解できたのは、そのジェノバの事例を「自分の問題」として、(日本を含めた)他の国・他の事例に繋ぎ合わせて語ってくれた人がいたからです。

安易なアジテーションもいいですが、僕はそうした語り口こそ誠実な態度だと思います。そして、様々な人により深く、状況や問題を理解してもらうためには、やはりそのような形で問題を共有していく以上に最適な方法はないと思います。