『9.11アメリカ同時多発テロ』で命を落とした彫刻家:マイクル・リチャーズ(Michael Richards)


2001年9月11日、ワールドトレードセンタービルの102分間 - A Successful Failure

このエントリを読んで速攻注文したのはいいけれど、しばらく積読になっていた『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』をようやく読み始めました。

ビルの中でいつも通りの日常を送っていた人々。ビルに閉じ込められた人々を救おうとWTCに駆けつけた消防士や警察官達。この本には、当時この事件に直面した多くの人の名前が出てきます(といっても、ごくごく一部ではありますが)。

その中に、ある彫刻家の名前があります。マイクル・リチャーズ(Michael Richards)。北タワー92階のギャラリーで作業中、突入してきた飛行機の直撃を受け、そのまま死亡した(と思われる)多くの犠牲者のひとりです。

この本を読むまで、僕は彼の名前を知りませんでした。しかし、彼の存在は雑誌のインタビュー記事の中で読んだ記憶がありました。

何の雑誌か、また誰のインタビューかは忘れてしまいましたが、「9.11とアート」という内容のインタビューの中で、『あるアーティストは事件当日、WTCの中で“自分の体を飛行機が貫く”というアート作品を作っていた。彼はその作品通りの最期を遂げた』というように語られていたのを記憶しています。

当時、その事実に関しては興味を惹かれたのですが、インタビューの中にはアーティストの名前も、また作品の名前もありませんでしたから、調べようにも調べようがありませんでした。また、そのインタビュー以外でこの話を聞くこともありませんでしたから、てっきり(こういう大事件にありがちな)都市伝説の類だと思っていました。『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』の24Pを読むまでは。

その上の九十二階の静かな一角では、マイクル・リチャーズという彫刻家が自分のスタジオで制作にあたっていた。しばしばあることだが、彼は前の日から徹夜だった。

『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』24〜25P

当時、ロウアーマンハッタン文化協会はWTCの中にスタジオを持っていました。協会では、90年代後半から、若い作家にスタジオを提供し作品製作に協力する試みを行っていたそうです。2001年度は15人が選ばれ、92階のギャラリーで協同で制作活動を行っていました。リチャーズはその中のひとりです。

この名前を頼りにいろいろとググって見みたところ、彼の遺作となった作品に関する記事を見つけました。ノースカロライナ美術館の特別展示を紹介するプレスリリースです。

http://www.ncartmuseum.org/pressroom/pressreleases/Michael_Richards/MichaelRichardsrelease.shtml

ここにはこんなことが書かれています(例によって乏しい英語力による意訳)。

運命の偶然により、ノースカロライナ美術館は最近、9.11のテロリストの攻撃以降行方不明になっていた彫刻を発見しました。


2001年9月10日の夜、リチャーズは自分のスタジオにいました。そして、ビルが崩れ落ちる翌朝もまだ、そこにいました。彼は9月11日の攻撃を生き延びることはできませんでした。


リチャーズの彫刻“Tar Baby vs. St. Sebastian”(“タール・ベイビー対聖セバスチャン”でいいのかな?)は彼自身の身体をかたどって作られています。彼は有名なタスキギー(第二次大戦で活躍した黒人パイロットの養成基地)のパイロットのひとりとして服を着せられています。伝統的な聖セバスチャンのイメージは、迫害された聖者が矢で撃たれているというものですが、リチャーズの作品では、矢の代わりに飛行機が突き刺さっています。今現在では、この彫刻は、この芸術家の死に関する不気味で悲痛な予言に見えます。

この作品は、リチャーズが当時ギャラリーで制作していたものと同じテーマで制作され、リチャーズの家族に預けられていたものだそうです。

このリリースに書かれている通り、「聖セバスチャン」を模してつくられたリチャーズ自身の体に多数の飛行機が“突き刺さっている”ことから、彼の運命を予言しているかのように見えます。しかし、当然のことながら、彼は自分がそのような最期を遂げることを予測していたわけではありません。

この作品は、第二次大戦中に華々しい戦果を挙げながら、しかし誰一人として勲章を与えられなかったアフロ・アメリカンの戦闘機パイロット達をテーマとしています。

現在では、リチャーズの“Tar Baby vs. St. Sebastian”はこの芸術家の悲惨な死の予言であるとみなすかもしれません。しかしこの作品はより深いメッセージを伝えます。リチャーズの芸術は、アフリカ系アメリカ人の歴史に浸され、社会的かつ人種的な不公平の問題に対処しようとするものです。それは“薄情さ”という濃い影に光を当てます。決して歌われることのないタスギギーの空の英雄達。海外で民主主義のために闘った勇敢なアフリカ系アメリカ人のWWIIパイロットである彼らが、自分の国では人種的な不公正と直面しなければならなかった現実は悲しむべきものです。

リチャーズがテーマとした“タスギギーの空の英雄達”に関しては、ここに詳しい歴史が載っています。

そして、リリースの最後はこんな風に締められています。

リチャーズの死以降、確かに、彼の彫刻は“飛ぶこと”の暗い側面を心にもたらします。しかしながら、9.11の悲劇にもかかわらず、その何か美しいものが生き残ったという事実は祝福と熟考の理由となるでしょう。「芸術は、私たちに共有されている人間性でもって私たちに接し、また私たちの文化のすばらしい宝物について思い出させます。」と、博物館ディレクターのローレンス・J.ウィーラーは言いました。「博物館は、マイケル・リチャーズと彼の仕事に敬意を表すとともに、彼の作品を展示できることにことを光栄に思います。」

僕は現代芸術に関しては素人ですから、彼の作品に関する論評は控えます。もしかしたら、現代芸術に詳しい人であれば彼のことは既に知っているかもしれません。

また、『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』にも書かれている通り、この事件で犠牲となった2,749名にもリチャーズと同じように“やるべきこと”“やってきたこと”があったはずで、リチャーズの場合、たまたま「作品」という形でそれが残っていたからこうしてピックアップされているに過ぎない、ということは理解しておくべきでしょう。

しかし、9.11後の迷走を経てバラクオバマというアフリカ系アメリカ人初の大統領が誕生した現在から見ると、リチャーズの作品の“意味”もまた大きく変わってくるのではないかと思い、このエントリをまとめました。


ちなみに、彼を知ることとなったインタビューではもうひとつの“作品”が語られています。

それは、『あるアーティストが、“世界は何も変わらない”というテーマを表現するため、マンハッタンの風景を対岸のニュージャージーから一週間続けてビデオ撮影していた。奇しくも、彼のビデオはWTCに飛行機が突っ込みビルが崩壊するという“世界が変わった瞬間”を映すこととなった。』というもの。

こっちもアーティスト名・作品名ともに不明なんですが、リチャーズと彼の作品が実在していたことを考えるとやっぱり存在するんでしょうかね。

もし何か知っている人がいたら、コメントでもトラバでもブクマコメでもいいので教えて頂けると有難いです。