「ジェニーはご機嫌ななめ」が盛り上がるのは“生歌だから”なの?

新年明けましておめでとう御座います。今年も“ネタにマジレス”を恐れずにやっていきたいと思います。とりあえずオードリーが色んな番組に出ていて嬉しいです。トゥース!!


さて、新年一発目からPerfumeネタ。

Perfumeは口パクのままでいいのか - TAKUYAONLINE

口パクを“やっている側”の意識や熱量の問題や、「生歌を聞きたい」という欲求はよく分かるのですが一点だけ。

「ジェニーはご機嫌ななめ」でファンのコールが特に盛り上がるのは、あの曲でステージ上の3人がリアルに歌ってるからでしょ。あれが口パクだったらこっちもあそこまで熱を込めて叫んだりできない気がする。ビデオコンサートでキャーとかワーとか言うの普通は気恥ずかしいじゃん。どんなにいい映画でもスタンディングオベーションとか普通はやんないじゃん。それと同じで、演者がリアルタイムで届けてくれないとできないことってやっぱりあると思うんだよね。こっちの感動の量とか質とかそういう話じゃなくて、それがいいとか悪いとかそういう話でもなくて、単純にその場の共有感みたいなものはやっぱり損なわれてしまう気がする。

Perfumeは口パクのままでいいのか - TAKUYAONLINE

これはちょっと違うと思います。「生歌かどうか」というのはあくまで副次的な要素に過ぎないでしょう。「ジェニーはご機嫌ななめ」が盛り上がる理由は多分こっち。

さてさてこの機械声だけど、ハロプロの楽曲にはやはり適用されないと思う。もちろん、ライブやコンサートではこういう機械声はどう歌えばよいか、という疑問もあるのだけれどそれよりも、個性的なメンバーの各々の声を無機的な機械音のように加工した歌声がファンに受け入れられるかどうか、というとやっぱり受け入れらないのかなと。「このパートは○○ちゃんが歌って、この次は△△ちゃんのパート、そしてサビは……」というふうに、メンバーの声帯から発する声を期待する、もしくはそういうことを考慮した楽曲を UFA は提供しているのだと思う。

ハロプロのボーカルは「機械声」化なるか - ぶるふぉぼ。ディスプレイ

Perfumeの曲にはこの「このパートは○○ちゃんが歌って、この次は△△ちゃんのパート、そしてサビは……」という分かりやすい構造の曲は多くありません。だから既存のアイドル・ソングと同じノリで盛り上がれる曲である「ジェニー〜」だけがその欲求というか熱量を集約している、と考えるのが妥当ではないかと。

良い悪いは別にしてこのノリは今のPerfumeのライブの中でも異質でしょう。これを他の楽曲と同じ皿の上に乗っけて“盛り上がる”とし、またその根拠を「生歌」に求めるのはやはり無理があると思います。

逆に、今のPerfumeファンなら、この構図さえ確保できれば生歌じゃなくても同じように受容できると思うんですがどうでしょう?他の曲は“生歌かどうか”なんて一ミリも気にせず盛り上がってるわけですしね。


ちなみにアイドルとオーディエンスの関係性や共時性といった問題に関してはモーニング娘。学会の人たちの議論が先行していると思います。この人達がPerfume論の同人誌とか出してくれれば最高に面白いと思うんですけど・・・。