「スポーツと政治は別」

http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2009/12/11/01.html

1999年3月27日、グランパスヴィッセル戦。福田健二のゴールをアシストしたストイコビッチは、着ていたユニフォームをたくし上げ、スタジアムに向かって咆哮した。彼と肩を組んだ福田が「これを見てくれ!」とユニフォームの下のアンダーシャツを指差す。そこにはこう書かれていた。

NATO STOP STRIKES!」(NATO空爆を止めろ!)

この試合の3日前、コソボ自治州の独立を巡る政治的緊張はついに「空爆」という最悪の事態を迎えた。ランブイエで行われていたコソボ代表団との和平交渉が決裂したこと(交渉の最終段階になって、ユーゴ国内でのNATO軍基地常設や兵士の治外法権を含む「アネックスB」と呼ばれる条項が提示されたことが決裂のきっかけとなった)を受けて、ユーゴスラビアに対するNATO軍の空爆が開始されたのだ。ピクシーのパフォーマンスはそれに対する抗議であった。

ピクシーだけではない。Jリーグをはじめ、世界各国でプレーしていたユーゴスラビア出身選手の多くがこの空爆に対する抗議行動を行った。レアル・マドリードに所属していたミヤトビッチは試合をボイコットし、アメリカ大使館の前でユーゴスラビア国旗を身に纏うパフォーマンスを行った。セリエAラツィオに所属していたミハイロビッチスタンコビッチは「PEACE NO WAR!」と書かれたTシャツを着て試合前のピッチに現れ、サポーターにメッセージを送った。リーグ1のメッツに所属していたルーキッチなどは「同胞と同じ方法で国に尽くす」と言いチームを離れ軍に志願までした。

しかし、このパフォーマンスを受けた川渕チェアマン(当時)は、「ピッチに政治を持ち込むな」としてJ1、J2所属の全チームに対し喪章を含むあらゆる政治的パフォーマンスを禁止する通達を出した(余談だが、主にユーゴスラビアの選手が活躍し、また空爆の主体ともなった欧州各国リーグではこのような禁止措置は取られていない)。「スポーツと政治は別」というわけだ。


「スポーツと政治は別」

残念ながらこれは現実を表す言葉ではない。あくまでも理想であり、願望である。そしてストイコビッチにとっては“信念”であった。木村元彦氏の言葉を借りるなら“イナット”(意地)と表現するのが最も的確かもしれない。

ボスニア内戦の際も、「クロアチア独立」を強く掲げたクロアチア民主同盟(HDZ)の党員として対外的なスポークスマンの役割を果たしたボバンとは対照的に、ストイコビッチは一貫して「スポーツと政治は別だから」と言い続けた。92年の国連制裁に伴いEURO92の出場権が剥奪された際も、その決定に怒りと落胆をあらわにしながらしかし「スポーツと政治は別」と言っている。

そんな彼が、自らの信念に背いてまで(後に彼は「あれは政治とは関係ない」と言っているが)ピッチ上でメッセージを発した。ユーゴスラビアではセルビア人、アルバニア人ボスニア人関係なく空爆の危機に晒されており、また空爆は民族間の憎悪を煽るだけで問題の解決にならないどころかそれを悪化させるだけだと知っていたからだ。

現にこの空爆を境にコソボ自治州での戦闘は激化し、セルビアアルバニア双方の民兵部隊が市民の暴行・略奪・殺害を行う事態にまで発展した。と同時にNATO軍の空爆もその対象範囲を広げ、非軍事目標である放送局や薬品工場、発電所空爆で破壊された。コソボから避難したアルバニア人もかなりの数がこの空爆の犠牲になっている。

しかし、その彼の悲痛な叫びも「スポーツと政治は別」というお決まりの論理で封じ込められた。彼とユーゴスラビア代表がまさしく“政治的な理由”によって長い間国際舞台から締め出されていたにもかかわらず。なんという皮肉だろう。


「スポーツと政治は別」

それは現実ではない。理想であり願望である。

「スポーツと政治は別」

それはストイコビッチの信念であり、そして彼を2度裏切った言葉。

「スポーツと政治は別」

そしてある人々にとっては、厄介事を回避する為のレトリックでしかない言葉。

「スポーツと政治は別」

川渕三郎日本サッカー協会名誉会長、今貴方が言うべき言葉はなんですか?

 ご列席の皆様、


 民族融和には何が必要なのでしょうか。単に「民族融和は大事だ」と何百回繰り返したところで、それはただの言葉に過ぎないでしょう。私は真に必要なものはこの「架け橋」であると思います。人々の交流なしに融和は生まれません。交流を生むためにはきっかけが必要であり、そのきっかけとしてフットボールは大きな役割を果たしています。


 例えば、毎年トヨタカップが開かれる東京には、地球の裏側から何千というサポーターが駆けつけます。フットボールの魔法は、瞬く間に国境や大陸を超える力を持っているのです。この魔法を民族と民族の壁を消すために使えないものだろうか、私はいつも考えるのです。西バルカンの各国が親善試合を定期的に行うというのはどうでしょうか。既に近隣諸国との公式戦は行われていますが、公式戦はどうしても勝つことが全てに優先してしまうので民族融和という意味では、親善試合の開催が重要です。既にBHとセルビア・モンテネグロの間では親善試合が行われております。これから少しずつではありますが、多くの親善試合を企画していきたいと思っています。代表チームが試合のために近隣諸国に移動すれば、サポーターも移動します。まずは人々が移動する、交流するということが大事だと思います。そうやって少しずつ少しずつ、壁が無くなっていけば良いと思っています。


(中略)


私は、一貫して「スポーツと政治は別である」と言い続けてきました。その思いは今も同じです。私は政治家ではなく、国のシステムや経済政策を変えることは出来ません。しかし、フットボールという共通の言語、誰もが知っている言葉、誰もが愛するテーマを通じて、フットボール選手が平和のために貢献することを願っており、それは可能だと信じています。


 私の大好きな映画「アンダーグラウンド」の言葉にもあります。「この物語に終わりはない」と。ようやく西バルカンは平和と安定に向けて歩み始めました。物語は始まったばかりであり、私もフットボールを通じて民族融和の物語に参加していきたいと考えています。多くの人々、特に未来を担う子供達がこの物語に参加してくれることを願ってやみません。


有り難うございました。


平 和 親 善 大 使
ドラガン・ストイコビッチ


ストイコビッチ平和親善大使スピーチ -西バルカン平和定着・経済発展閣僚会合-

悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記 (集英社文庫)

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