つーか「女系天皇問題」とか言ってないでとっとと「美少女天皇」を奉れよ!!

inumash2006-02-23


なんてことをはあちゅう主義。:小娘が何か言ってます。を読んで思いました。

id:kanoseさんは『美少女革命家はあちゅう 』とまとめているけれど、この場合革命家より天皇の方が志向性は合っているんじゃないかと。

美少女が切なげな顔で、「皆さんがもっと真剣に働いてくれないと、日本の国力が下がって他の国の植民地になっちゃうんです・・・。私困るんです・・・。」とか言えばみんな働くんじゃない?(←投げやり)

あ、血縁の問題で彼女自身はもう天皇にはなれないから、皇族の誰かと結婚して、子供を天皇に据えて背後で実権を握らなきゃいけないか。同時に皇族の権力回復も図らなきゃならないから、ある意味革命起こすより大変かも。3世代計画くらいかな。

まあ、ネタとしてだけ消費するのもあれだからちょっとだけ真面目な話をすると、日本における「政治」の捉えられ方の幼稚さがこの背後にあるような気がします。

別に政治や社会を語るのに、わざわざ大文字の「国家」や「教育」なんて持ち出す必要はないわけです。例えば、普段自分が消費している様々な食品・商品・芸術・情報、それぞれをしっかり吟味して、「何を買い、何を買わないか」「何を信じ、何を信じないか」を選択するだけで、それは十分政治的な行為として機能します。

食品で例えれば「米国産の牛肉は買わない」とか、メディアであれば「朝日新聞を読まない」という行為も政治的な行為ですし、「avexのレコード買わない」という選択も政治的な行為になります。

そのような日常における選択の積み重ねの先に「政治」があるはずなのに、何故か多くの人が「政治」を語る場合、その日常性をすっ飛ばしていきなり大文字の「国家」や「国民」を持ち出してくる。それは大半の人が日常生活の政治性に無自覚なまま、自分の生活とは無関係な場所にそれを置いているからでしょう。だから、実感を伴った話ができない。

日常生活において、そこかしこに転がっている「政治性」を意識的に拾い上げること。これが政治において最も重要な事です。別に「国家」や「国民」について語る必要なんてありません。

考える材料はその辺にいくらでもあるのにね。気が付かない人は一生気が付かないままなんだろう。(そういえば宮台センセイも「馬鹿に政治参加させても逆効果だ」とか言ってたなぁ・・・)