『デトロイト・メタル・シティ(DMC)』に込められた悪意〜クラウザーさんが「悪魔」の座から降ろされるとき〜その①「メタル基礎知識編」
デトロイト・メタル・シティ (1) (JETS COMICS (246))
- 作者: 若杉公徳
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2006/05/29
- メディア: コミック
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『デトロイト・メタル・シティ』(以下DMC)に込められている悪意を、「非モテ」に押し込めてしまうのは短小化ではないかと思うので、大真面目に『現代における「アーティスト」という概念に対する悪意』としてのDMCを語りたいと思う。
DMCを構成する大きな要素である、「デスメタル」という音楽の社会的地位の部分からその悪意を晒そうと思ったのだけど、あまりにも長すぎるので2回に分けることにする。
まずは「メタル基礎知識編」として、「デスメタル」がどのような音楽なのかを真面目に語ってみる。
ちなみに、僕は熱狂的な「メタルヘッズ」ではないので、あくまで一般的な解釈と大枠での位置付けとしてこれらを語っている。これを読んで「メタルが分かってない!!」とか言って僕を「FUCK」しに来ないように。
■「へヴィメタル」の基本概念と現状
「へヴィメタル」を構成する要素をそれぞれ分類すると、
① ハードロック、プログレッシブロックをベースとする「構造美重視」の楽曲構成、及び「テクニック重視」の演奏形態
② 「デス声」など、定型化されたヴォーカル・ギミックの多用
③ 「ツーバス」「リズムギター」を採用するなど、ブレの少ない直線的かつ鋭角なリズム構成と「重量感」を重視した音響構成
④ 「負の感情」を表現する為のサディスティックな言葉の多用
⑤ 「悪魔崇拝」などのコンセプトをベースにした特殊メイク、衣装、小道具などによる過剰演出
の5点に集約され、各要素の取捨選択及び順列組合せによって「スラッシュメタル」「ゴシックメタル」等サブジャンルに分類される。
「へヴィメタル」という音楽に関しては、特にここ10年程のタームにおいては「非主流」の音楽として位置付けされている。その理由として、
① 90年代初頭の「オルタナティブ・エクスプロージョン」による大仰な楽曲構成の否定
② 楽曲構成の単純化志向による、ヴォーカリゼーションへのシンプル化とリアリティの要求
③ ヒップホップ・R&Bの影響力拡大によるリズムのイノベーション/多様化と、テクノ等、電子音楽の発達による音響構成の細分化
④ 「グランジ」に代表される「負の感情」の一般化、及びギャングスタに代表される「リアルな暴力世界」の流通
⑤ PR・マーケティング手法の高度化による各種コンセプトの陳腐化
が挙げられる。
しかし02年頃から始まった「ロックンロール・リヴァイヴァル」及びここ2〜3年程の「80’sリヴァイバル」により、イギリス「ザ・ダークネス」に代表されるメロディックメタルの復権、アメリカ西海岸などにおける「ニュースクール」と呼ばれる新世代メタルバンドの登場など再評価・再編成の動きがあること、また「メタル」という音楽形態は既に一般に受け入れられており、固定化したファンによる支持を受け続けていることや、90年代初期〜後期においてもその全要素が否定されたわけではなく、「ミクスチャー」や「へヴィロック」といった音楽形態へ要素の一部が引き継がれていったことも記述しておく必要があるだろう。
■「へヴィメタル」の中での「デスメタル」
先に記述した「へヴィメタルの基本概念と現状」をベースとして「デスメタル」を構成する要素を並べると、「負の感情」の直接的表現としての歌詞、間接的表現としてのオカルト志向、そして、それらを補強する為の楽曲・リズム・ヴォーカルという順列になるだろう。
アメリカなどでは特に、『「デスメタル」なんて聞く奴はネクラで友達のいない奴、もしくは異常者』として扱われているとされ、いささか誇張されている部分はあるがその傾向があることは事実である。
ポップミュージックにおいて、オカルト的なコンセプトを明確に取り入れた元祖はアリス・クーパーであるとされる。しかし、そのコンセプトと自身の表現との明確な連動、及び社会への批評性が語られることは決して多くなく、それらをシリアスな表現として受け取る為の回路は整備されていなかった。
それらを明確に整理し、一般に提示したのが、90年代後期におけるマリリン・マンソンである。
ナイン・インチ・ネイルズを下敷きとして「アンチ・キリスト」というコンセプトを打ち出した彼は、そのコンセプトを
① 社会構造の変化による「信仰」の機能不全
② 社会より一方的に要請される規範への同化拒否
③ 「差別」や「虐待」が日常的に行われている現状と社会的な偽善の告発
と結びつけて説明し、そうしたコンセプトが「子供騙しのマーケティング」ではないことを主張すると同時に、それら独自の哲学や世界観を比較的ポップな楽曲と共に流通させ、彼に対する排斥運動が起こるなど、社会に対して決して少なくない影響を与えることに成功した。
しかし、未だ「デスメタル」に対してそのような批評性が現れる機会は多くはない。やはり一般的にはオカルト的なコンセプトはネタとして扱われる機会が多く、それを「本気で」信じている人間などいない、というのが通常の認識だろう。特に日本においてはその傾向が強い。
「デスメタル」という音楽の地位を説明するなら、「総合格闘技全盛の時代におけるプロレス」とすると分かりやすいのかもしれない。
以上がDMCを語る上で当然把握しておかなければならない基礎知識である(じゃないとクラウザーさんに「SATSUGAI」されちゃうから)。
次回はこれをベースにして、DMCに込められている悪意について語りたいと思う。