「成長」はあきらめなくてもいいけど、「成長」で生存が左右される社会は嫌だね。

2007-07-30

なんかブクマコメとかで「彼らに手当を施すには成長が必須」とか言っている人がいるけれど、本当にそれは正しいのかな?

アマルティア・センは、自由経済が引き起こす貧困のメカニズムを「貧困は平等にはやってこない」という形で説明している。

彼の主張では、「貧困」は通常考えられているように所得水準が低いことが原因だというのではなく、経済手段の不足により、生活を向上させ得る能力・可能性が与えられていないことに由来すると指摘している。

つまり、例えば、受けたい教育を受ける機会が与えられなかったり、就きたい職業に就けなかったり、知りたい情報が手にはいらなかったり、行きたいところに行けなかったり食糧を取得できなかったりといった機会がなければ生活向上の妨げになるし「貧困」はなくならないだろうというのだ。

http://www.kanshin.com/keyword/471504

まず、経済の循環において経済発展の妨げや悪化から目をそらすことはできない。成長率や上昇思考のみに目をとらわれていると、真の発展プロセスとは何かを見落としかねない。直視すべきなのは、危急のときにそこから逃れるために必要な保障である。

つぎに、利益を共有している社会集団が経済危機に瀕したとき、その真価が問われる。統計上は飢饉によって人口の5パーセント以上に被害を及ぼすことはごく稀であるが、社会集団に属する人々の購買意欲や経済的な自己防衛への意識が物質的よりも精神的に破壊されかねない。

また、統計のマジックにも配慮が必要である。国民総生産における数パーセントの低下という現象であっても、それを全国民が等しく被るのではなく、貧困者へのいわば逆累進的な負担となりうることを見過ごすわけにはいかない。

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0201sa.htm

要は、(その社会が公平に機能しているのであれば)「経済的成長は比較的平等に分配される」が「貧困」はそうではない。また、経済において「成長」は約束されたものではなく、停滞や後退は必ず起こり得るものである。そして、そのような場合、特定の集団・階層に「貧困」が集中することで、彼らの生活基盤が完全に破壊されるケースが多い。だからこそ、公平な安全保障としての「セーフティネット」の構築が重要なのである。以上。

正直、これに付け加えることはないんだけど、「バブル崩壊」を経験しても尚、「これから先はずっと成長し続ける(られる)」なんてお気楽なことを考えている人いるのかね?(そういや、ちょっと前にNHKに出てたどっかの社長が「大丈夫。これからは成長し続けます。」とか言ってたなぁ。あいつTVに出ない方がいいと思うぞ)。

まずは「再分配機能」を公平に働かせる方が先。もちろん、「成長」していた方がその分「分配」が増えるってのは自明だけれど、現状はその「再分配」を切り捨てて「成長」している状況でしょ。「あぶく銭」に浮かれて足元を疎かにしてだけじゃないのかな。

このまま「成長」を続けたところで、いざ「停滞」や「後退」がやってきたときに、またバブル崩壊後と同じ不幸を繰り返すことになるのは明白だと思うんだけど。

「成長」をあきらめなくてもいいけど、それとは別にきちんと「再分配機能」を公平に働かせてよねってだけの話じゃないかな。

つっても「再分配」ってどこかの政党みたいに「地方」や「農村」にばら撒けってことではないんだけどなぁ。ああ、頭が痛い…。