リスク管理における“A(発生確率)×B(被害)=∞”という無意味な計算式


↑リスクに敏感な人のファッション。ノアの箱舟に乗れなくっても余裕だぜ!


ひさびさー。ちょっとした揉め事ー。


リスク管理を考えれば原発には疑問 - 地下生活者の手遊び

tikani_nemuru_M セルクマ inumash あのな、B=∞だったらA=0でなければA×B=∞になっちゃうだろ。つまりゼロリスクを求めるのが合理的となるんだということすら読めないの? 馬鹿がドヤ顔で鳴いてるんじゃねえよ。顔あらって出直せ。

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さて、リスク管理において、まず「最悪の被害」を想定することは前提ですが、しかしその値として被害値を“∞”にすることは基本的にありません。必ずなんらかの形で数値化・指標化します。それをしないとリスク査定できませんからね。ましてや、それを理由に“A=0にしなければならない”という結論を導き出すこともありません。それは実際に何も考えていないのと同じですので。

地下猫さんの言うとおり“A=発生確率”はゼロになることはありません。と同時に、被害想定を際限なく拡大していけば、どのような微細な事象でも“破滅的な被害”を想定できてしまいます。ですから“B(被害)”に∞を代入する行為に意味はありません。

ご自身で述べている通り、リスクを考える上では“A(発生確率)”と“B(被害)”のバランスが重要となります。言うまでもないことですが、基本的なリスクマネジメントの方法は“A(発生確率)に関連する要因”と“B(被害)に関連する要因”を詳細に分析し、「どの程度の被害が、どの程度の確率で発生するか」を細かくステージ分けしてその内容を検討する形です。その際、“Aと比較してBが大きすぎる”あるいは“Bは小さいがAの確率が高すぎる”と判断されれば、その行為自体を取りやめ、“AまたはBを0にする”ことも選択肢としてはあり得ます。

しかし、“B(被害)”に∞を代入することが許されるならば、上に書いたようなプロセスは全く無意味なものとなります。故に、リスクを考える上では“B=∞だったらA=0でなければA×B=∞になっちゃう”という計算式にも、またそれを根拠にした“原発に絶対確実な安全性を求めるのは当然”とか“ゼロリスクを求めるのが合理的”という言説にも意味はありません。端的に、ご自身が解説された「リスクに関する考え方」を思いきり脇にぶん投げる発言であるとしか思えませんよ。


ついでに、原子力に関しては“A(発生確率)”に対して“B(被害)”が大きすぎる技術(少なくとも、現在は)だという地下猫さんの意見に同意します。リスクを低減させる方法としては、おおまかに「“A(発生確率)”をゼロの近似値に近づける運用プロセス」と「B(被害)をリカバーする技術の導入」という方法がありますが、そのどちらも現在のところ上手く行っているとは言えません。チェルノブイリやスリーマイルの例に限らず、原子力の利用に関する事故やトラブルの発生確率は決して低いとは言えないでしょうし、同時にその被害をリカバーする技術は実用化の目処が立っていません。

ですが、現在の生活様式やコストなどを考えると、ただちに原子力の利用を停止するわけにもいかないでしょう。故にリスクを低減すべく現行の運用体制にパッチを当てながら、代替エネルギーの研究・育成を続け、長期的に移行を図る形が妥当であると考えます(急進的な意見・方法には反対)。

これが僕の基本的な考え方ですよ。「絶対確実な安全性なんて存在しねーよなぁ」と思ったのでそのままブコメ書いたら“反原発反対論者認定”されちゃいましたけどね。


あと関係ないけど“∞の被害”がどんな被害か想像すると楽しいですよねー。『ミスト』みたいに次元が崩壊して謎のクリーチャーが大量発生するとか想像したんですが、それじゃ“∞の被害”とは言えないしなぁ。↓こんなん出てきたらワクワクするんだけど。