渋谷の“DJポリス”が、フーリガン対策として見ても極めて真っ当な件。


渋谷駅前で誘導するお巡りさんの巧みなマイクパフォーマンスが話題に : ドメサカブログ
「お巡りさんもW杯出場がうれしいんです!」 渋谷の交通整理、“DJポリス”がサポーターを巧みに誘導 - はてなニュース

一昨日から話題になってたこの件。「曲をかけずにマイクパフォーマンスだけをしてるんだから“DJ”じゃなくて“MC”じゃね?」とかいうツッコミは脇に置いておくとして、ここでは視点を「サッカー」に絞って、この対応について説明してみようと思う。

一般的に、W杯やチャンピオンズリーグなど、大きな大会における警備体制として“サポーターを取り囲む完全武装の警官隊”という光景をイメージする人は多いと思う。例えば、昨年ポーランドで行われたEURO2012では、警察の装備の充実ぶりが一部で話題となっていた。

http://matome.naver.jp/odai/2133960275919354701

しかし、このような警備体制も虚しく、ポーランド対ロシア戦が開催されたワルシャワでは、サポーターの衝突をきっかけとした大規模な暴動が発生し、100人以上が逮捕される事態となった。当時、会場周辺では6000人もの警官が警備にあたっていたが、暴動を止めることはできなかったという。

いっぽう、これと真逆の対応をして成功した大会もある。ポルトガルで開催されたEURO2004だ。大きなトラブルが発生することもなく、運営の面でも高い評価を受けたこの大会では、警察の警備に関して下記のような取り組みが行われていた。

リバプール大学のストット(Clifford Stott)らは欧州選手権「ユーロ2004」の決勝トーナメントで行った大規模実験に関する論文を昨年,Psychology, Public Policy, and Law誌に発表した。同トーナメントではポルトガルの治安当局が研究チームの提案に従い,目立たない非戦闘的な戦術を採用。ファン間際の警官に鎮圧用の装備を付けさせなかった。ストットは「私たちの仮説に基づく警備方式をヨーロッパの一国全土で実施したのは初めてだった」という。

危険度の高い試合でファン100人に対し平均7人の警官を配備した。これに対しオランダとベルギーで行われた「ユーロ2000」ではファン2人に警官1人だったから,大幅に少ない。ユーロ2000では英国のサポーターから1000人近い逮捕者が出たが,ユーロ2004では観客15万人のうち逮捕された英国人ファンは1人だった(研究チームはフーリガン行為と特に結びつきが強いとされる英国人ファンに注目して調べた)。*1

群集の狂気を鎮める方法〜日経サイエンス2009年6月号より | 日経サイエンス

また、ここで“英国のサポーターから1000人近い逮捕者が出た”と指摘されているEURO2000でも、開催国であるオランダ・ベルギー両国の警備体制を調べると面白い事実が見えてくる。オランダでは、鎮圧用の部隊を増強するのではなく、通常の制服姿の警官隊を街中に配置。さらに、英国のファン対策として英語での案内ができるよう訓練するなど、ポルトガルで実践されたような“非戦闘的な戦術”を採用した。いっぽうのベルギーでは、特別装備の鎮圧部隊を多数編成し、騒ぎの予兆があった箇所へ逐次投入、徹底して鎮圧する戦術でフーリガン対策に望んだ。その結果、オランダでは大きなトラブルもなく順調に大会が運営されたものの、ベルギーではブリュッセルシャルルロワなどでイングランドサポーターによる大規模な暴動が発生、多くの逮捕者を出すことになった。

もちろん、このような暴力行為や暴動は、対戦カードや試合結果などさまざまな要因が複雑にからみ合って発生するため、単純に警備体制だけを見てその有効性を判断することはできないだろう。しかしながら、フーリガン研究の分野においては、古くから「過剰な警備体制フーリガンによる暴力行為を抑止するどころか、むしろそれを誘発する要因となる」という指摘が数多くなされている。

例えば、サポーター研究の第一人者であるレスター大学のエリック・ダニング教授は、フーリガン問題の深刻化の原因として、失業などの社会的背景やメディアの扇動的な報道などと併せて“警察による強行的な取り締まり”を挙げている。

ダニング教授は、警察の強権的な取り締まりを「フーリガンの団結をより強固なものとし、ゴール裏という彼らの領域に特別な意味を持たせるもの」として批判している。さらに「スタジアム内での過剰な取り締まりが、暴力行為を“スタジアムの外”に向かわせただけでなく、その戦術や組織の精巧化のきっかけともなり、結果としてフーリガン問題の拡散と複雑化に大きく貢献した」という指摘も行なっている。

フーリガン対策には、その集団が形成された歴史的背景を理解することが必要となる。フットボール・カルチャーが、産業革命以降発展した「都市」と、そこに移住してきた「労働者」という、新たなコミュニティや階級と共に発展してきたことは既知の通りだ。ダニング教授と同じレスター大学のノルベルト・エリアス教授は、フットボールサポーターにおける暴力行為について、その背景をこう説明している(山野光正さんのブログより引用)。

『昔から定着している家族集団とかなり最近になってその近くの団地に住み始めた住人との関係の研究は、昔から定着している家族の間に、その近くの団地の住人たちに対する蔑視の態度、かれらに地位を譲り渡したくないという強い傾向、定着している集団とのあらゆる社会的接触からかれらを排除したいという強い傾向があることを明らかにした。』(P78)

『この集団に属する子供や若者をもっとよく見てみると、かれらが難しい問題を抱えているのが分かった。かれらは近所の他のすべての人たちから軽蔑されていることをよく知っていた。もし子供たち自身が毎日、自分たちの親が他のだれからもあまり尊敬されていないことを知っているとしたら、彼らが堅固な自尊心やなんらかのプライドを発展させることはおそらくたやすいことではなかろう。子供たち自身冷たい視線を向けられ、顔を見せるたびに、追い払われたのである。』(P78)

このような日々の疎外や屈辱を受けながら、その一方で自分たちは「社会」に所属していることを知っている。安定した社会集団の存在と接するだけで、彼らはその疎外を感じさせられざるを得ない。「部外者」である彼らはスポーツの観客となることで初めて所属感と興奮を味わい、『自分に注目してくれそうもない、感心を示してくれそうもない社会に恨みをはらすことができるのである』(P81)

『要するに、フットボールの暴力はまた、その説明が他にどんなものであろうと、部外者症候群として、若い部外者たちが集まって、巨大な群集を形成できるときに表れるかれら特有の行動と感情の形態として、理解されるべきである。』(P81)

N・エリアスによるフーリガンの「定着者と部外者」分析

このように、フーリガンはコミュニティから排除された“部外者”の集団という性格を持っていることから、彼らの警察に対する不信感は非常に根強い。ときに、マイノリティが警察を「自分たちの安全を守ってくれる法の番人」ではなく「自分たちを抑圧する権力の代行者」だと考えるように、フーリガンにとっての警察は、公正・公平な存在ではなく、自分たちを不当に抑圧しようとする“外敵”だと認識されている。

そのため、フーリガンは、警察への抵抗を“集団に対する忠誠心を示す行為”だと考え、警棒やヘルメットなど警官から奪った装備品を、自身の勇気を示すトロフィーとして扱う。そのような集団に対して、警察が攻撃的・抑圧的な態度を取る事は、事態の緊迫感を煽るだけでなく、彼らへの挑発として機能してしまうというわけだ。こうした指摘やノウハウの蓄積などもあり、主要国ではこれまでに比べてより柔軟な警備が行われるようになってきたというのが、近年のフーリガン対策の傾向といえるだろう。イングランドプレミアリーグでは、警官の代わりに、観客に近い立場でスタジアムの安全を守るよう専門的な訓練を受けたスチュワード(警備員)を配置し、スタジアム周辺の警官の数をプレミアリーグ設立以前と比較して60%以上も削減したそうだ。

こうして見ると、冒頭で紹介した“DJポリス”の対応が、欧州基準のフーリガン対策と比較しても十分理にかなっていることが分かると思う。強行的な態度で抑圧するのではなく、より近い目線で、集団の内部に目を配りつつ誘導を行う。そうすることで、集団の攻撃性や対抗心を煽ることなく、大きな混乱や暴動に至るのを未然に防ぐことができる。

もちろん、あの夜、渋谷で大騒ぎしていた人達と、欧州のフーリガンとでは、行動原理も危険度も全く違うので、あの対応がそのまま欧州のフーリガン対策として機能するわけではないだろう。また、日本の警察には、体系的なフーリガン対策のマニュアルなどはないはずで、渋谷警察署やあの警官がここでまとめたような方法論を踏襲していたわけではなく、あくまでも現場での経験からあのような対応をとっただけだろうと思う。

ただ、現場での経験・ノウハウから生まれたであろう渋谷の警官の対応と、長い期間と幾多の失敗を経て辿り着いた欧州のフーリガン対策が、期せずして同じ方向を向いていたという事実は非常に興味深い。コミケスタッフを連想する人も多かったようだが、サッカーに限らず、さまざまな場面での“群衆のコントロール法”を比較してみるのもまた面白そうだ。

*1: この結果については、NCISによるフーリガンのデータベース化と、彼らの海外渡航を制限する法律が制定されたことも大きい