異論を排除する「政治的言説」に一体何の意味があるのか。

※まず最初に、僕は特定の誰かを貶める為にこれを書いているのではないということを明記しておく。

id:kagamiさんへの返答として、『「愚鈍」は悪口でも暴力的表現でも無いと思うよ。少なくとも、言説に使う場合は。 』というエントリを書いた。

その返答が、

追記:こちらの「愚鈍」等、コメントを残した方は、その後も、このブログのコメント欄には謝意を載せながら、自分のブログでは「愚鈍は罵倒ではない」等、攻撃的に振舞って色々と書いていますが、相手をしたくないので、互いに距離を取る、干渉しあわないということで、どうかお願いします…。

謝意がコメント欄に載った時は分かりあえたのかなと心が明るくなったのですが、その後の展開を見て、こういった攻撃性とは決して分かり合えないのだなと思い、本当に、がっくりきます…。

本当に、がっくりくる…。

・・・・・・・・・?

まず僕はid:kagamiさんのところにはコメントしていないはずなんだが、一体誰のことを言っているのでしょう?事実誤認?印象操作?どっち?

「相手をしたくない」と書かれているので、返答・反論は期待せず、勝手に異論を書かせてもらう。(だって、これ一方的な印象操作じゃね?僕の正式な反論エントリのリンクも貼って無いんだぜ?あと、一応TBはするよ。相手に言及する際のマナーだと思うので。)

僕は反論エントリの中で、きちんと「愚鈍」という言葉を使った趣旨と、そして貴方の返答に対してロジカルに反論したつもりだ。このエントリの一体何処が「攻撃的」だという判断ができる?つかちゃんと読んでもいないでしょ?ロジカルな「反論」と根拠の無い「攻撃」の区別もつかないんでしょうか。

さて。反論してきた相手を一方的に「攻撃的」だとか「相手にする価値はない」とか言ってその言説そのものを無効化したり、その言葉が使われた文脈を無視して、「攻撃的な言葉の使用」という事実のみにおいて「傷ついた」「謝罪しろ」とかいう主張って、散々どこかで見てきたロジックだと思いません?

そう。人権派護憲派靖国反対派等の「ブサヨク」、中・韓等の「反日勢力」が散々使い倒してきたロジックですよね、これ。つまり、id:kagamiさんは自身が嫌悪するはずの勢力と全く同じロジックを利用して異論を封じようとしているわけだ。意図的なのがどうなのかは知らないけど。

僕が期待していたのは、id:kagamiさんが何故イスラエルレバノンの状況を北朝鮮と日本の状況を置き換えることが出来たのかという思考のロジックに基づく反論か、もしくは「愚鈍」という言葉の使用に関して、「言説に使うのも不適当である」ということをロジカルに反論してもらうことだった。前者なら現在の政治状況に関して事実を確認しながらやり取りすることができるし、後者であればその言葉を使用する文脈の差異を確認して、必要なら僕が謝罪する事だって出来た。

でも、エントリの内容には全く触れずに、ただ一方的に「攻撃的だ」というレッテルを貼り、コミュニケーションの回路を閉じようとする。これが、散々政治的なエントリを書いている人の取るべき態度なのか?そんな人の語る「政治」や「社会」に一体何の意味があるというんだろう。ねえid:kagamiさん。僕はそんなにおかしいことを言っているかい?それとも、「リベラルと話すことなんて何ひとつ無いぜ!!」って解釈でよろしいか?

これまでの対応を見るに、id:kagamiさんの政治的言説は、自身と志を同じくする人達のみに向けられ、「自分はこんなに天下国家のことを考えている!!俺カッコイイ!!」ということを確認する為のツールとしてしか機能しないという解釈になる。で、残念ながら今回の件も、「俺が気持ちよく語ってるんだから邪魔すんな!!」くらいの文脈しか読み解くことが出来ないよ。

id:kagamiさんはスーザン・ソンダグやらベンヤミンやら色々な人の文章を引用しているけど、その人達の本を読んで導き出された態度がこれかい?ソンダグもベンヤミンも泣くぜ、きっと。

前にも引用したけど、かつてベンヤミンファシズムを「政治の美学化」と呼んだ。

id:kagamiさん。僕は彼のこの言葉を貴方に贈ろう。貴方の政治的エントリからは「美学」の臭いがする。貴方は酔っている。政治論を語る自分に。「政治論を語る」という行為そのものに。それが一体何をもたらすのか、僕は預言者ではないから指摘はしない。でもこれだけは断言できる。貴方の言説は全く意味をなさない。自らが酔ってしまっている限り、それは他者にとっては害悪だからだ。あの言説が、レバノンの人々を自分のロジックを正当化させる為に使役しているという構図の愚かさに気がつかない限りにおいては。