左翼親父による幻想再生機関としてのフジロック。〜「フェスティバル」を、「音楽」を短小化するのは誰だ?〜

それでも、フジロックの話‐=【The Perfect Kiss】Welcome To Madchester

遅レスもいいところだが、もう一週間経ってそろそろみんなお熱も冷めてると思うからここらでフジロックを強烈にDISっとく。

まず、id:republic1963さんの意見はまあ、それこそ初開催時からあった話だし、別段珍しくはない。ただちょっと安易だと思うのが、「政治的なパフォーマンス」そのものを問題視している点。それを否定したらフジに出ているアーティストの大半は「卑怯」だってことになる。問題点はそこじゃない。「政治的」な話を「つまならく」話すこと。話す相手が今何を求めているかを考えず、徹底した「自分の正しさ」のみをベースに話をすること。観客やその場に対する一切のリスペクトが無いこと。その思想自体が更新されていないこと。要するに、典型的な「頭でっかちなブサヨク」そのものの問題だってことだ。

「音楽と政治」という話をすると、ハッピーマンデーズにしろニュー・オーダーにしろ、マンキュニアンとしての人生哲学をベースにして音楽をつくっているわけで、そこには何らかの政治意識が確実に介在する。それを「無視するな」と言うつもりはないけれど、音楽やフェスから政治性を排除しようとする行為はそれそのものの短小化だと僕は思う。というかそれ以前に、トニー・ウィルソンが聞いたら泣くと思うな。彼が何故自身のレーベルに「ファクトリー」、自身のクラブに「ハシエンダ」と名付けたかを考えれば、それらのバンドが一体どんな政治性を持っているか分かるでしょう。「フェスと政治」もまた同じなんじゃないかな。

ナチスヒトラーの演説を行う際、会場の地下に埋めたスピーカーから地鳴りのような低音を出し続けたという。人間の耳には聞こえないくらいの低音を。観客の興奮を煽る為に。音楽(音)は、常にそのように使われてきた。商業性と政治性の矛盾はポップ・ミュージックを巡る古い古いテーマのひとつで、その原初を僕はウッドストックにおけるピート・タウンゼントの「アビー・ホフマン殴打事件」(参照)なんだと思っているんだけど、その辺を意識できないと、「音楽に触れる快楽」や「フェスティバルの意味」から零れ落ちるものがたくさんあると思う。「正しい」「正しくない」ではなく、単純に「勿体無い」と僕なんかは思うわけだが。

とはいえ、現在のフジの政治性にも問題はあると思う。実のところ。99年〜00年くらいまでのフジはその辺りの矛盾にとても意識的だったと思う。「本音と建前」が色んなところに見えていたというか。だから面白かったんだけど。どんなに「音楽の快楽」を前面に打ち出そうが、それは結局のところ政治性と不可分であることは既に実証されているわけで。(参照)

苗場に移ったばかりの頃のフジロックのスローガンは「この感動を日常に持ち帰ろう」だった。でもいつの間にかフジロックは「3日間の奇跡」となって、日常はその「3日間」に奉仕する為の場所となった。そして現在はただのレジャーになってしまっている。日高さんは「会社を辞めなくてもフジロックに来れるような社会にしたい」と毎年のように言う。だが、それに対する現実的な試みは一切行われていない。

僕がフジロックを嫌いになったのは、それが結局のところ旧世代左翼の自己満足にしかならない上に、音楽の受容の方式ですら60年代の幻想に囚われていることに気がついたからだ。それは過去の焼き直しであり、つまるところ「あの青春をもう一度」って事に過ぎない。その意味において、フジもこれと大差はない。そもそもウッドストック的な「Love&Peace」なんて、「オルタモントの悲劇」で止めを刺されたはずだろうに。

そのような幻想に、音楽に実体と力を与えようとしているアーティスト達を押し込めるのは害悪だと思う。既に概念が更新され、自らの音楽と日常とを密接に結びつけ、成果をあげている人達もたくさんいるのに、何故古臭いイデオロギーに回収しようとするのだろう。本当はその「日常における音楽の現場」こそを押し広げる努力をしなければならないのに、フジロックはそれを「非日常」として回収し、自分達の幻想を保持する為に使役してしまっているという事実に気がつかないのだろうか。それならば、商業主義をベースにおいたまま、メタリカからハーバートまでを飲み込もうとするサマー・ソニックの方が魅力的に映るのだけど。

音楽をあるイデオロギーに押し込めようとする行為も、またそこに含まれている政治性を感じ取れないまま「音楽って素晴しいよね!!」なんていう行為も、「音楽を短小化させる」という意味においては同義だ。

現在のフジロックみたいな、「左翼ごっこ」はもうたくさん。そんな所で音楽は使役されるべきではない。本当に最高の音楽は、日常の中に存在してこそ価値がある。音楽を開放せよ。下らない幻想から。下らない過去の記憶から。下らない商業主義から。下らないフェスティバルから。本当に音楽が必要な場所は「そこ」ではない。「ここ」だ。取り戻せ。「あいつら」から。そう、ステージの上で偉そうに演説をしている「あいつ」から。

取り合えず、「フジロックこそが本当のフェス」とか言ってるお間抜けさんには「そのぬるま湯を出てから言え。てゆーかパンツ履け。」とでも言ってあげましょうかね。


フジロックに関する過去のエントリ】
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20060228/1141130728
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20060220/1140438764