「いじめ問題」を解決させたければ、学校の「調整能力」と生徒の「自治能力」を評価に組み込むしかない。

最近の「いじめ問題」の報道についての雑記:ekken
いじめの質的変化 - Munchener Brucke


「いじめ問題」の一番大きな特徴は、自殺など被害者が具体的行動に出るまで(あるいは出ても尚)、「いじめが存在しない」ことになっている点にあると思う。

これは大きな事実誤認だろう。この世の中に、「いじめが存在しない」集団など一体何処に存在するというのだろうか。自分の身の周りを見渡してみればいい。そこかしこに「いじめ」、あるいはそれを想起される事象が転がっているはずである。

そう。「いじめが無い学校」こそこの世に存在しないのだ。

学校がスムーズに「いじめ」の存在を認める為には、まず「いじめ」というものが特殊な事態なのではなく、どういった集団、どういった人物においても当然の如く起こる問題だという認識の更新をしなけらばならない。その上で、学校側に求める職務を、「いじめを起こさないこと」から、「いじめを把握し解決すること」に移行するべきだ。

現状を考えるに、学校というものは既に教育における「行政機関」となっている。「行政機関」に求められるのは、言うまでも無く「調整能力」である。であるならば、普遍的なものであるはずの「いじめ」を「発生させない」ことを求めることは大きな間違いだ。学校は既に「行政機関」でしかないのだから、「発生した際の対処」こそを重点的に語るべきだろう。

だからこそ、「我が校にはいじめはありません」なんて間抜けなことを校長が言う学校は、「事態把握能力」と「問題解決能力」が欠如している最低ランクの学校として評価するべきだし、同時に発生した「いじめ」の事例を詳細に報告し、かつそれに対する対処を重ねてきた学校に関しては文科省教育委員会、そして何よりも親が高い評価を下すような環境を整備する。

その上で、その環境に対してインセンティブを保つ為に、例えばそういった「調整能力」の高い学校に関しては国・公立や私立への推薦枠増加や学校運営予算の配分見直し、更にその学校で勤務した教師を公的機関などに積極的に登用し、そういった経験を重ねた人間のみ、校長・教頭というポジションが得られる制度を確立してしまえば良い。

そのようにしてはじめて、「いじめを解決する体制」が整うのであり、現状、「いじめ」という事案が表面化した瞬間に教師や学校の評価が下がる環境では、当然、「自殺」という最悪な事態を防ぐことはできないだろう。


と同時に、教室の中で起こっている事態の全てを教師や学校、あるいは親が把握することは不可能である。

であるならば、教室の中で起こる事態に対して、その当事者たる生徒に調整を任せてしまえば良いのではないだろうか。

「いじめ」という問題が起こる構造的な背景として、「権力の不可視化」があると僕は思う。つまり、「教室の中の支配者」が誰なのか外部から見えづらいという点が一点。そして同時に、内部の人間にはその「教室の中のヒエラルキー」がさらに上部のヒエラルキーの一部分でしかないという認識が得られないという点が一点。

その「不可視の権力」の中に閉じ込められてしまうが故に、外部からは状況が掴めないまま「いじめ」の対象者だけが追い詰められる結果となるのだ。なら、まずはその「不可視の権力」を可視化させることからはじめるべきだろう。

まずはクラスの運営集団を形成する。それは従来の「学級委員長」などの中途半端なものではなく、彼らだけが行使できる特権と責務、そして責務が果たせなかった際の罰を与え、ある程度自立的に働けるようにする。そして、その上部権力として学年運営組織、更にその上に生徒会を配置し、それぞれの下部組織を管理させる構造にすればいい。学校側はその外部権力として全体を監視する。教師は各組織のオブザーバーとしてだけいれば良い。

そして、各クラスにおける「いじめ」などの問題はそのクラスの運営集団が拾い上げ、積極的に解決法を探る。必要なら他クラスへの転籍など調整も生徒間で行い、難航すれば更に上部構造へ、それでも無理であれば学校側へ対処を依頼する。

そのような調整作業を円滑に行えるクラス、学年、生徒会には、相応の自由と権利を与え、逆にそれができない場合にはカリキュラムの強化、部活動の強制などのペナルティを与える。同時に、そのような運営集団の担い手は優秀な人材として学校の推薦枠などを優先的に提供し、他者が持たない「調整能力」の持ち主として「官僚的エリート」の道を歩ませ、自身のインセンティブとする。併せて学校の評価を高め、進学・就職に有利に働く環境をつくることも重要だ。

例えば「いじめ」によって被害者が自殺などした場合、学校や当事者だけでなくその学校にいる生徒全てが不利益を受けるシステムと、逆にそうした問題を事前に察知し、解決に導いた事実と能力が高く評価されるシステムを併設させ、文字通り「みんなの問題」として徹底的に責任を負わせること以外に「いじめ」を解決させる方法は無いのではないだろうか。

ずいぶんとネオリベちっくになってしまったが、「いじめ」が普遍的な事象である以上、システムによってそれを監視・管理する以外に事態の把握と対処を行う術はないと思う。


http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20061029-109918.html


このように「いじめ」を「こころの問題」としている限り、「いじめ」による自殺者は消えないだろう。事実、武士の間であっても陰湿な「いじめ」は存在している。

繰り返すが「いじめ」は決してなくならない。だが、「いじめ」によって追い詰められている人を救うことはできるはずである。