「核武装」に反対するのなら、もっと実用的な視点からそれを語らなければならない。

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日本の核武装を語る際に、その歴史的背景から「反核」というイデオロギーを排除して考えることは困難だとは思うが、上の内田先生のような語り方はできるだけ避けた方がいいと思う。論点がぼやけるし、実用的ではない。「ネット右翼」と同じレベルになってしまっている。「ネタ」として消費されることを望むならそれでもいいけれど。


「核抑止」幻想に踊らされるバカ、踊るバカ-半哲学的談笑
北朝鮮核実験をめぐる奇妙な言説(1)-トラッシュボックス

この問題の基本的な論点は、概ね「核抑止力は機能するか否か」であるのだが、どちらにせよ、ある一定の国家戦略が無ければいくら「核」を持っても豚になんとやらで、その有効性を活かすことはできない。

今回の発言で僕が一番気になったのが、中川氏の発言は政府、あるいは政権与党として意図されたものだったのか、ということだ。

これまでも日本の外交戦略の欠如は大きな問題として問われてきたわけだが、北朝鮮問題で世界の視線が東アジア周辺諸国に向かう中でこのような発言をすることの重要性は検討されなかったのだろうか。もし彼の発言が事前に容認されていたものであるならば、何らかの戦略的意図が無ければならない。では、彼の発言が「失言」ではないのなら、一体どのような戦略的意図があるのだろうか。

個人的な考えとしては、今回の中川氏の発言は対外戦略を意識したものではなく、むしろ「外圧」を利用した「国内向け」のパフォーマンスであるように思う。その後の発言を考えると彼に「戦略」なんて思考があるのかは怪しいところだが、そういった「空気」を察する能力は持っているようだ。問題はこれが政権の戦略に組みこまれているか否かだが、麻生氏の擁護発言などを見ると戦略的思考は別にして基本姿勢として受け取って良いように思う。

さて。ここで「日本の核武装」に反対する人達が取るべき姿勢はどのようなものだろうか。

僕は、今回の発言を含む現政権の姿勢や発言が、実用性を軽視し、イデオロギーに傾いている点に注目するべきだと考える。もし彼らに対抗するのであれば、同じく「イデオロギー」をぶつけても意味がない。単なる泥試合になるだけで、誰の同意も得られないだろう。

だからこそ、イデオロギッシュに議論そのものを否定するのではなく、徹底して「核武装」の非効率性を指摘し、核武装論者を完膚無きまでに叩き潰すことが必要なんだと思う。これは国内だけでなく、対外的な戦略においても重要であって、日本における「非核三原則」が単なるイデオロギーの産物ではなく、現在の国際社会においても「実用的」な思想であり立場であるということを実証しなければならない。それができなければ、「世界から核を廃絶する」なんていう理想は永遠に理想のまま、ただ「日本という国が安寧を獲るための思想」として歴史に残るだけだろう。


http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060913/1158159197
日本の核武装とアメリカ

実用的な見地からも、このように核武装を否定することはできる。今求められているのはまさにこういった視点なのではないだろうか。


※追記:あまりに長かったので途中の外交戦略とかに関しては削除しました。