「機械化の夢」の極北。BjorkとPerfume。(妄言注意)
http://mirror-ball.net/2007/01/post_95/
ちくしょう!!この人はいつもいつも僕の先を行く!!ムカツクので「機械化の夢:クラフトワーク以後」を書いてやる。
ちなみに、長い上に僕は早川さんのようなSF者ではないので、多大な妄想が混じっている点はご愛嬌。
■クラフトワークからアフリカ・バンバータへ〜機械による身体と精神の獲得〜
クラフトワークの音楽を押し広げた最大の功労者はアフリカ・バンバータである。彼はヒップホップの最初期から活躍するDJであり、ヒップホップというカルチャーを今の形に形成した「3大DJ」のひとりだ。
クラフトワークの「ヨーロッパ特急」に衝撃を受けた彼は、ヒップホップが生み出した「ブレイクビーツ」とクラフトワークが生み出した無機質なシンセ・サウンドを合体させた名作「プラネット・ロック」を発表し後の音楽に大きな影響を与えた。「エレクトロ・ファンク」の誕生である。
それと同時に、「機械化の夢」においても彼は世界に新たな可能性を提示して見せた。それは、「機械の身体化」である。彼の「エレクトロ・ファンク」という命名がそれを良く物語っている。彼はクラフトワークのマシーン・ミュージックに確かな「ファンクネス=身体性」を感じ取ったのだ。
簡単に言えば、これまでのロボットは望むように完璧に動くことを目指していました。右に10センチなら右に10センチ動かす。そのためには例えば重力を解決しなくてはいけません。そこで重力をキャンセルするように上向きの力をモーターによって発生させながら動かすことになります。つまり身体のもたらす影響をいかに排除するかを考えてきた。これは「脱身体性」と呼べるものです。
しかし、そもそも人間は正確に動いているわけではありません。スクワット起き上りでいえば、1000回やれば1000回違う軌跡を描きます。それでも「スクワット起き上りはできる」わけです。しかも、からだの制御を完全にやろうなんて思っていない。からだの位置や周りとの関係など、入力された情報を完全に理解して細かい判定をしながら動いているわけではなくて、感覚的なコツ、どのくらい足を上げるとか、どれくらいの勢いで足を下ろすとか、どうやってバランスを取るとか、そういうちょっとしたツボを感じているに過ぎません。
このロボットもまさにそれと同じようにコツとも呼べるいくつかのポイントを制御するだけだそうです。それでも動作全体としては非常人間くさい動きを獲得することができる。ロボットの動きを完全に制御することを考えるのではなく、身体性、つまり動きの基礎的な構造を認めたうえで、コツだけをうまく伝える。
アフリカ・バンバータが生み出した「エレクトロ・ファンク」は、ハウス、テクノなど様々な音楽に多大な影響を与えた。特に、寂れた工業都市デトロイトへ与えた影響は特別なものだった。
テクノのオリジネイターであるデリック・メイはこう言っている。
『私達にとって、機械が打ち鳴らす音はまさに私達の生活の音だった。マシーン・ミュージックは私達にとってのソウル・ミュージックだ。』
デトロイトが生み出したマシーン・ミュージック=テクノは、アフリカ・バンバータが見出した「機械の身体性」を更に発展させ、最早「機械の精神性」としか呼べない領域までその音楽を昇華していった。
こうして、アフリカ・バンバータ以降、「機械化の夢」は「身体の機械化」と「機械の身体化」という両方のベクトルで推し進められることになる。
クラフトワークの単純なフォロワーはたくさんいるが、それをさらに押し広げたのはドイツでもポップカルチャー発祥の国イギリスでもかつての同盟国日本でもなく、戦勝国であり世界最大の工業国となったアメリカであった。そしてその担い手達が、工場で巨大な機械に囲まれながらその一部として働く人々であったことということは「機械化の夢」と無関係ではないだろう。
■「機械化=匿名化」と「身体のモジュール化」
「レイブカルチャー」の勃興により、アメリカで身体性と精神性を手に入れたマシーン・ミュージックは、熱狂をもって迎えられることとなる。
だが、その熱狂の裏側で「機械が獲得した身体性・精神性」に興味を持つ連中が現れる。リチャード・D・ジェイムスに代表されるワープ・レコーズの連中、及びそのフォロワー達である。
彼らは「機械化」を「匿名化」と同じものだと考えた。彼らは大げさなポップスター・システム=記号化を心底嫌っていたが、有効な対抗策を持っていたわけではなかった。
しかし、アメリカを経由したマシーン・ミュージックが確かな身体性と精神性を獲得し帰還したことで、その対抗策を手に入れることとなる。機械が身体性と精神性を獲得できるならば、自らが機械化=匿名化してもその身体性・精神性=記名性は残せると考えたのだ。
彼らは「機械が音楽を奏でる=演奏者不在」という概念を逆手に取り、機械の裏に隠れたまま、その音の微妙な手癖やリズム、空白などでアーティストとしての記名性を残す方法を思いつき、実行する。まさに「身体の機械化」である。それはアーティストや音楽をより自由にするものとして称揚された。
さらに、彼らは旧来の市場による記号化=ポップスター・システムを逆手に取りその影響力を拡大させる。「名前」という最も記号的なものを量産し、様々なアーティスト名で作品を発表する。あるいは名前と音楽以外の一切の情報を与えない。
恐らく、そんな手法に最も意識的だったのがリチャード・D・ジェイムスだろう。彼は、「姿を晒しながらしかし実体は見せない」というまるで幽霊のような存在としてメディアを跋扈することとなる。彼は自らの身体(特に最も記名性の強い顔)をモジュール化し増殖させることでその実存を覆い隠そうとしたのだ。
このように、彼らは自らの精神を守るものとして機械化=匿名化した身体を身にまとったのである。ダフト・パンク、電気グルーヴなども同様の存在として語ることが出来るだろう。
一方で、「機械の身体化」というベクトルも更に進められることになる。
テクノの自由な実験は、更にアーティストを音楽の後ろへ後ろへと追いやっていった。既に人間の手で演奏されるよりも遥かに複雑かつ完璧な音楽を奏でられるようになっていた機械は、あるアイデアによって更にその作家性を高めることに成功する。
エレクトロニカの開祖であるオヴァルは、CDに直接マーカーで線を引くことによって、それまで機械では生み出すことの出来なかった微妙な揺れを持ったノイズ「グリッチ・ノイズ」を発明する。
これにより、機械は完璧さ、複雑さだけでなく身体が持つ特権であった不規則さ、揺らぎまでも再現できるようになった。これにより、最早「演奏者」は必要なく、人間はただ機械をセットし動かすだけの存在となったのである。
機械はその機能において、最早人間と同列になったのだ。
■「機械化の夢」の極北。BjorkとPerfume
こうした流れの到達点として、ここではBjorkの「All is full of love」のPVとPerfumeの「Electro World」のライブ映像を挙げたい。
クリス・カニンガムが手掛けたBjorkのPVでは、アンドロイド同士のキス(というかSEX)がこれでもかとリアルに描かれている。
良く見て欲しい。相手を見つめる表情。目。顔を撫でる仕草。その動き全てが人間のそれと全く同じである。
だが、彼らは人間ではない。プラスチックの肌と白いオイル、そして数多のモーター(歯車)で動く「機械」なのだ。その違和感、グロテスクさは決して消えない。体の内部が見えるようになっているのも、あのように過剰に人工的な造型をしているのもクリス・カニンガムによる批評性の表れだろう。
そう、機械化されたBjorkは、人間と同じ魂を持ち、その声や動き完璧にトレースしたとしても、結局は「機械」としてしか認識されないのである。結局のところ「身体の機械化」によって失われるのは「身体」だけではないのだ。
そして、もう一方、Perfumeのライブ映像はどうだろうか。
見て分かるとおり、彼女達はアンドロイドやロボットなど、「機械」に扮しているわけではない。生身のままステージに立っている。
しかし、PVなどでもそうだが、彼女達の動きは出来損ないのロボットのようにぎこちない。自らの意思ではなく、まるで他者(中田ヤスタカ)の意思により「動かされている」ようなアクションをしている。
つまり、これは「機械化」のバリエーションなのである。「機械化」は、何も身体の一部、あるいは全部を機械に変えることではない。自らの身体・存在そのものをモジュール化し、代替可能なものとして扱うこと。そして、その行動を「他者」によって完全にコントロールされることでもあるのだ。
本書「モノ・サピエンス」は、現代という時代があらゆるものをモノ化していくことを指摘した本である。ここでいう「モノ化」というのは、売買不可能だったものを売買可能にし、交換不可能だったものを交換可能にし、そして使い捨てできなかったものを使い捨てられるようにすることを指す。
404 Blog Not Found:How rich you are is how much you give (書評 - モノ・サピエンス)
Perfumeの3人は、生身の身体を持ちながら『Perfume』を構成し駆動する「機械」として存在しているのだ。そして、これは彼女達の声の扱いに顕著なのだが、彼女達は様々な形に「調整」され、その記名性を奪われた形で差し出される。
では、それがマイナスの感情しか産み出さないかと言うとそうではない。
いかなる姿であろうとも、「モチベーション」をもち「達成しようと努力している」と思えるロボットの姿は、人が心を投射し、「かわいい」と思う事ができる対象になりえる。
そう、このような形でなければ表現できないことがあり、同時のそのような存在からしか想起できない感情というものが確かにあるのだ。だからこそ、人間は「機械化の夢」を追い続けるのかもしれない。
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