「相手の要求に合わせること」を単に「媚び」というのはどうだろう。

2007-05-09 - 力士の小躍り
http://d.hatena.ne.jp/kkk6/20070509/1178679027

多分、過去どっかで繰り返されてきた話ではあると思うんだけど、「相手の要求/幻想に合わせること」によって失うものって一体なんだろうね?

それを単に「媚び」として切り捨ててしまうこと自体、ある種の貧困さを表していることにはならないだろうか。

「相手の要求/幻想に合わせること」というのは、別の意味で考えれば「自分の別の価値/可能性を探ること」でもあるわけで、それって特別忌避するような行為じゃないと思う。

だから「相手の要求/幻想に合わせること」を単に「媚び」として一様に切り捨てることはできないんじゃないだろうか。それはコミュニケーションの作法として表層を滑るだけではなくて、そこから派生する様々な体験/感情というのは必ず自身の内面に何らかの痕跡を残すことになる。

それがネガティブなものかポジティブなものかは別にして、その痕跡は互いの内面に作用し変化を起こす。

その変化の過程、結果を楽しむことが僕にとってのコミュニケーションの醍醐味なわけで、逆にいえば「相手の欲望/幻想に無関係な自分」なんて「コミュニケーションの(量的ではなく質的な)貧困さ」の象徴として機能するんじゃないかと思ってるくらいなんだよね。

だから、「相手の要求/幻想に合わせること」を単なる「媚び」としてしか解釈できないように、『実は「コミュニケーション」を表層でしか捉えていないのはむしろ「相手の欲求/幻想に従順な人=媚びる人」として批判する人たちだ』という逆説も成り立つんじゃないだろうか。

もちろん、「強者の圧力」の問題なんかも検討材料に入れなければならないので一方的に切り捨てるつもりはないし、そもそも「バランスの問題でしょ。」と言われてしまえばそれまでなのだけれど、コミュニケーションに関して、それを「媚び」とか「正解」とかでしか語れないってのも問題があるんじゃないかな。

個人的には「相手の要求/幻想に合わせること」というのは単に人間関係を円滑にするだけではなくて、きちんとした「コミュニケーション」として機能している部分も大きいんじゃないかと思うんだよね。そんなに単純なものでも、また貧しいものでもないと思う。

肯定側でも表層的に捉えている人が多いのは事実だけれど。


That sugar cane that tasted good.
That's who you are, that's what you could.
C'mon, c'mon on no one can see you cry.


そいつはただ甘いだけのサトウキビ。
それが君。それが君にできること。
さあ、こっちにおいで。君の泣いてる姿なんて誰にも見えないよ。


Imitation Of Life - R.E.M.


あ、あと、takisawaさんが本当に言いたかったのって、

気を遣えない、媚びることもできないような童貞男や中間管理職が高い評価を得ないのは納得できる話だが、男に媚びる女が女から非難されるのは、納得できない。非難する女だって、実は男に媚びることをし、女を利用しているにもかかわらずに。

 「男性性欲」の経済から外れた「本当の女」など存在しないのです。

  

 私個人的には、そういう媚びた男は嫌いだし、媚びる女には引く部分もあるけれども、それでも、利己的な目的であれ、他者に気持ちのいい振る舞いをしようとする姿勢を批判することなど、出来やしないし、してはいけないと思う。

 自分が、他者に気持ちの良い振る舞いをし切れていないという自覚を持っているのだから。

2007-05-09 - 力士の小躍り

の部分じゃないかと思った。