最初から最後まで「ファッション」については語られないままなんだよね。

ファッションの話の流れとレスと女性は何で同性の目を気にするのかって話 - pal-9999の日記
http://d.hatena.ne.jp/kkk6/20070513/1179059497
「視線の暴力」に関する、なんとも歯切れの悪いエントリー - 世界のはて
Kazu'Sの戯言Blog(新館) 視線がキモい?甘やかされすぎなんじゃない?

根本的な疑問なんだけど、これまで語られてきた「他者の視線」や「ジェンダー」に関して、それは「ファッション」という文化には内包されてないってことでいいのかな?

僕は「ファッション」に関しては無知だからあまり確定的なことは言えないんだけど、例えば「ファッション」という文化を考えたときに、「どう見られるか」ということがまず最初のテーマとして立ち上がるのは自明だと思うんだよね。

あるいは、女性の「ファッション」を考えたときに、「ジェンダー」という問題に対して無自覚でいられるデザイナーっているのかな?

つまり何が言いたいかっていうと、大野さんも最後の方でちょろっと書いてるけど、「他者の視線」や「ジェンダー」に関して、既に「ファッション」という文化に内包されていて、そこからの距離の取り方やあるいは処理の方法は体系化され、具体的な「素材」や「形」や「色」といった「デザイン」という形に昇華されてるんじゃないかってことなんだよね。

そこを語らない限り、『ファッションをネタに「他者の視線」や「ジェンダー」を語ること』はできても、『ファッションについて語ること』はできないと思うよ。

でもさ、そういうことに無自覚なわけでしょ?「文化」として積み重ねられてきた方法論や昇華されたデザインがあるのに、それをすっ飛ばしていきなり「ファッションとは〜」という原則論をぶちかまして『ファッションを語った』気になっている。

挙句、そこに反発してきた人たちに対して、「何故反発されたのか」を考慮せず「ツンデレ」だとか「女は怖い」なんて形で単純化・矮小化・ネタ化しようとする。そりゃ「キモい」よ。

「つまんね〜の」と思われるのはジェンダー観点から(のみ)語られることに対してでしょうが、ファッションが文化であり知的ゲームでありアートであり個人的趣味嗜好でありさまざまなジャンルに関わる媒体であり、etc‥‥あと何でもいいです、「どれだけファッションが素晴らしいか」についてをかりに云々しても、今回の議論の核心には触れ得ないです。
核心はあくまで、さまざまなファッションを選んで着ている人に注がれる眼差しに、ジェンダーはどう構造化されているか(またそれが個人にどのようにフィードバックされるのか、意識するにせよしないにせよ)ということです。

大野さんのコメント

違うと思う。

対象の多様性・多面性やディティールの積み重ねを無視してその一部分を切り取っただけで、「対象そのもの」を語った気になってるから永遠に核心には触れ得ないんだよ。大野さんはそこに自覚的なのかもしれないけど。僕はそこを皮肉ったわけです。

例えば、僕の知る限り「音楽と他者」とか「音楽とジェンダー」に関してはある程度体系化されていて、具体的な「作品」として昇華されてる例はいくらでもあるし、そこに対する理解と批評というものもきちんと成立しているのだけど、その辺の流れをすっ飛ばしていきなり「ポップミュージックにおいてジェンダーとは〜」とか始める奴がいたらただの間抜けだとしか思わないけどね。

でさ、今回の「ファッション」と同じことを「女性」や「他者」にもやってるわけでしょう。そりゃ暴力だよ。

「他者の視線」そのものは別に暴力でも何でもない。本当の暴力は「無知で対象を切り取ること」、そして「自身の無知を認識しないこと」だよ。「原罪」?まさか。「それ」を処理できてる人はたくさんいるぜ。

そこに自覚的か否かってことが重要なんだと思う。Masaoさんにしろpalさんにしろ、「それ」は嫌と言うほど体験してきたんじゃないかと思うんだけどね。