「ゼロ年代の想像力」から抜け落ちているもの(1)〜「進軍ラッパ」を吹きならしたドラゴンアッシュ〜

http://d.hatena.ne.jp/TonioK/20070526
http://d.hatena.ne.jp/marita/20070528
2007-05-31
2007-05-31
http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2007/06/5_c5bd.html

まず前提として。

1.これは、例の「ゼロ年代の想像力」に対する批判や揶揄ではない。そんなこと僕がする必要もないし、所為「オタク文脈」に関して語るべき必要最低限の知識を僕が持っていないことは明らかなので。
2.「SFマガジン」に書かれた、彼の「批評」(ではないらしいけど)が誰に向けられているのかに関してはまず横に置いておく。また、彼は「サブ・カルチャー批評」としてあれを書いているのだと思うが、「サブ・カルチャー」が具体的にどのジャンル/文脈まで包括しているものなのかという定義もここでは行わない。
3.ここでは、彼と同じ90年代〜00年代というディケイドを、例の文章においても、あるいは普段の文章においても彼がほとんど触れる事のない「ポップミュージック」という視点から語ることにする。とはいえ、アニメやマンガ、あるいはゲームといったジャンルと音楽を比較して優劣を表すことを意図するものではない。単に、同じ時期に違うものを見ていた人間からの新たな参照点の提示だと思ってもらいたい。
4.なので、本当は「オリコンチャート」とかの年間ランキングを調べて1上位の曲を分析したりするんだろうけど、当時はそんなものに興味がなかったのでリアリティがないからできないしやらない。誰かやっといて下さい。

■「決断主義」の先駆けとしてのドラゴンアッシュ

以前から、宇野氏の語る「決断主義」という文脈に既視感があった。それは多分、99年から01年くらいまでのドラゴンアッシュに関する「ロック文脈」における批評を見ていたからだと思う。

元々USオルタナティブのフォロワーとして出発した彼らは、98年の「日はまた昇りくりかえす」を契機にヒップホップの方法論を明確に取り入れ、99年、シングル『Let yourself go, Let myself go』及びアルバム『Viva La Revolution』でブレイクを果たす。それに伴い、2つ文脈から批判されることとなる。

1.「ヒップホップ的方法論の導入」に関する、ロック/ヒップホップ双方からの批判
2.根拠のないオプティミズムに対するロック文脈からの批判

1に関しては今回のテーマとは関係ないので触れない。

ロック文脈における90年代後半(というか「常に」なんだけど)の最大のテーマは、他のジャンルと同じく「自意識の処理」であった。時代状況としては宇野氏の提示した解釈に寄る。

ただ「ロック」の文脈をもう少し加えるならば、94年にはカート・コバーンの自殺とそれに続くグランジ勢の失速により「自意識内への引きこもり」という手法の無効化が言い渡されていたという点がひとつ。

そしてもうひとつ、クラブミュージックのような「意味」ではなく「踊れる」という「機能」、つまり「強度」を前面に押し出した音楽が一般化してきたという部分だろう(「ハウ,ロウ?(ニルヴァーナ)」から「ハウ,ハイ?(メソッド・マン&レッドマン)」への移行)。更に、97年頃から、その「機能」に加え時代性やメッセージを打ち出す「意味」をも獲得した音楽(アンダーワールドダフトパンク、ファットボーイスリム等)がクラブミュージックの文脈から登場するようになっており、大きな脅威となっていた。

これらはあくまで海外の状況に過ぎないが、アニメやマンガと違い「輸入品」であるポップミュージックの文脈においては、これらの影響を無視することはできなかったと考えるべきだろう。つまり、「引きこもりの否定」と「動物化」が海外からほぼ同時にやってきたのが当時の状況であった。

そのような時代背景及びジャンルの特異状況がもたらす閉塞感に対して、ドラゴンアッシュが導入したのが宇野氏の言う「決断主義」であったと僕は考えている。

■鳴り響く「進軍ラッパ」と見えない「進路」

行くあてもなく漂うのではなく見据えた夢目指して舵をとる
かすかでも確実に前進大切なのは前に出る姿勢
恐れからくる一歩の遅れそれがもたらす致命的なLOSS
悩む前に体で反応勇気あるものが持ちうる本能
駆け抜けろ時代を未来へと進め空気を吸って
振りほどけ恐れを大地を踏みしめ歩き出そう
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/7046/Y012853

この『Let yourself go, Let myself go』は「進軍ラッパ」として鳴らされたものである。これを書いた降谷建志自身、当時のインタビューで似たような趣旨のことを語っている。そしてアルバム『Viva La Revolution』は彼ら(及び「決断した人々」)の「勝利宣言」として迎えられることとなる。

もちろん、この「勝利宣言」がすんなりと受け入れられたわけではなく、様々な批判を巻き起こした。上で書いた2がそれに当たる。大枠をまとめると、

(1)具体的な検証を欠いた時代認識
(2)明確な「対象」と「プロセス」を欠いた意識
(3)敗北の可能性に対する無自覚さ
(4)音楽的/文化的なディティールへの無頓着

という内容になるだろうか。(1)(2)は宇野氏が批判しているものが具体化されているだけなので説明を省く。(3)は「サマー・オブ・ラブ」あるいは「パンク」等の「敗北の歴史」を如何に処理するのかという問題。そして(4)は「本質は細部に宿る」という80年代を「なかったこと」にするかのような音楽的アプローチ手法の安直さ(要は、DJがいてブレイクビーツとラップ乗ってればヒップホップなんですか?というもの)に関してである。

つまり、「時代性に向かう」という「決断」をしたはいいが、そこには何の具体性もなかったというのが最大の弱点であった。結局、上で列挙したような批判への明確な回答はなされず、彼らは肥大化した自己顕示欲の発露(というかヒップホップの真似ごと)としか思えない「勝利者宣言」を繰り返し最前線から後退していくこととなる。

とはいえ、個々の批判の正当性は別にして、「時代性」というものに対してシニカルな態度を取り続けてきたアーティストが多い中で、そこに新たな視点を持ち込んだ彼らの存在を無視することはできない。以後の表現においても「そこからの距離」がひとつの目安となってくる。

なので、「ポップミュージック」という文脈においては、99年には既に「決断主義」というメルクマールが刻まれていたということは指摘しておきたいと思う。

ちなみに、ドラゴンアッシュの「決断主義」は「コミュニティ」(もっと具体的に言えば「世代」)をベースにしている点において、「個人」をベースにしている「デスノート」や「コードギアス」とは異なる。

これに関しては、ドラゴンアッシュが取りこんだヒップホップの概念「HOOD(地元友達)」や「HOMIES(ストリートの仲間)」を時代性に合わせて拡大したものとして解釈できる。この概念が導入されたことにより、「決断主義」のネオリベ的性格は弱まり、その分パトリオティズムが強化されたものと考えられる。同様の構図は日本のヒップホップに多く見ることができる。

尚、90年代の音楽における決断主義の源泉は98年のミッシェルガンエレファントだと思うのだけど、その辺は上手く言語化できないので書かない。

次回は『「ゼロ年代の想像力」から抜け落ちているもの(2)』として、「引きこもりからの脱出」をテーマに中村一義七尾旅人について書こうと思う(本当に書くのか?俺)。


あ、あと、「決断主義」とか「サバイヴ感」を語るなら『ザ・ワールド・イズ・マイン』が最も的確な素材じゃないかと思うんだけど、今のところこれに言及してる人がいないのはちょっと気になった。