例の「破廉恥パフォーマンス」って単に「オタクの欲望」が漏れだしただけなんじゃないの?

“趣都秋葉原”終了の予兆としての破廉恥パフォーマンス - シロクマの屑籠

なんか一生懸命「オタク外部の問題」にしようとしてるように見えるけど、どう考えたって「オタク内部の問題」だよね、これ。

だから、この白熊先生のエントリよりも、

オタク文化に関連したパフォーマンス」で無いにしても、それを容認しているのはオタク達の寛容或いは興味ないものに対する無関心故、と言う気がする。

そしてそれに群がってる連中は群集心理と集団の匿名性で羞恥心が麻痺したオタク達だ。非オタがあんなローエンドアイドル見にわざわざ秋葉原に来る訳ないし。彼らの大半は偶々居合わせた人達だろうし、如何に秋葉原のオタ度が希釈されてきたとは言え、その大半は以前オタクにカテゴライズされる人達だろう。

そもそも秋葉原歩行者天国の路上パフォーマンスはコスプレの人>美人レイヤーの撮影会>露出レイヤーの登場(てけとう)みたいにどんどん過激な方向に成ってきて、その極北が尻出し自称アイドルなんだと思う。そう考えると確かに今回の行為だけを見るとオタと全然関係ないエロパフォーマンスに見えるかも知れないのだが、経緯を考えるとこれはレイヤーによるコスプレパーフォーマンスの(間違った)延長線上にある様に見えるので、オタ的なるものと評価されるかも知れない(僕は悪い意味で「オタっぽいなー」と思った)。

http://d.hatena.ne.jp/pbh/20080318/1205820007


こっちの捉え方の方が妥当だし現実に即してると思う。

白熊先生個人がどうかは知らないけど、この取り巻き連中が、同人ショップまわってエロ同人漁ったり、ソフマップでエロゲ漁ったりしてるオタクどう違うのかさっぱり分かんない。その延長じゃないの?同人ショップで獲物物色してる時に「周りの目線」なんて気にしてる奴いるか?

そりゃさ、例えば氏賀Y太の単行本立ち読みしながら『「お腹にチャックつけて好きな時に内臓出し入れする」とか一体何処からこんな発想が出てきたんだろう?海外の変態小説にそういう設定でもあんのか?もしオリジナルならマジで天才だなー、この人。バタイユが読んだらなんて言うかな。』なんて考えてる時は「やべ。もしかして俺猟奇好きの変態だと思われてる?」とか考えなくもない。

でもすぐ次の瞬間には「ま、いっか。」と思ってるわけだし、そもそも自分の興味あるものに目を向けてる瞬間にそれ以外のことを気にしなきゃいけないなら最初から『趣都』なんて成立してないと思うんだよね。

例えば渋谷がレコードや映画、ファッションといった文化の集積地として機能していても『趣都』と呼ばれなかったのは、単に「多様性」の問題だけじゃなく「趣味」に「他者の視線」を結びつける消費形態が背景にあったからだと思う。

逆にマンガでもアニメでもゲームでもコスプレでもエロでもいいけど、「対象を吟味する/消費する」という目的以外の要素を切り捨てた消費スタイルと結びついたからこそ、秋葉原が『趣都』と呼ばれるようになったんじゃないかな。

だいたいさ、通り沿いの同人ショップに入れば幼女から熟女、亜人間、妖精、獣、異星人、ロボット、更にはショタっ子からダンディなおじ様までのありとあらゆる痴態を消費できる環境で、路上で変なねーちゃんがパンツ見せてたくらいでいきなり「破廉恥な!」なんて普通思わないんじゃないの?「おいおい」と思うくらいでスルーするよな、多分。コミケ会場でだって、露出の激しいレイヤーとカメコ集団をみんなスルーしてるじゃん。

基本的に「無自覚な表現者」をどう処理するかという問題は秋葉原、あるいは路上に限らず色々なところで起こりうる問題だし、それに対して自覚を促すなり自治組織を立ち上げるなり外部権力に委ねるなり対策が必要だって部分は同意するんだけど、ただ今回の件を「オタク外部の問題」だとする姿勢はあんましフェアじゃないと思う。ベタにやってるんだとしたらストレートに「下らない縄張り争いしてんなよ。ケツの穴ちっちぇーなー。」と思うよ。

これって本来は、オタクの「内在的問題」としてある種自己批判するべき問題なんじゃないのかな。俺もid:pbhさんと同じで(悪い意味で)「オタっぽいなー」と思ったから、白熊先生の彼(彼女)達を「外部」として断罪するような姿勢には凄く違和感を感じるんだよね。

それってある種の「同属嫌悪」じゃないの?俺は「彼/彼女達の姿」は多分、(欲望に埋没する)自分達の姿そのものだと思うんだけどな〜。それを否定するってことは『趣都』という概念そのものを否定することになると思うんだけど、どうなんだろう。