“ロックと女の子”を巡るもうひとつの視点〜Riot Grrrlというムーブメント〜


「すいませーん、ここは女性専用のエリアになってますので〜」


は?


一瞬、耳を疑った。つーよりも爆音だから疑わざるを得ない状況であった、と思った矢先に腕をつかまれ前の方から引きずり出された。その後も数人の男どもが、前の方からずるずると引きずり出されていた。


[中略]


確かに、ぼくは友人からも殺人者みたいだと言われたり、職務質問もされやすい。ましてや客層もほとんどが女性、男一人で来ていて、女の山にたたずんでいたら、怪しく思われても不思議じゃない。だからと言って、ライブだぞ!ライブ!!しかもスタンディングでロックのライブだぞ!!人までぎゅう詰めにして、もみくちゃになるのは当然であって、ライブハウスに来てる女の人はそれくらいのことは百も承知のはずなのだ。だから汗だくになるの分かって、タオルも持って来てるし、Tシャツだったりするんだろうが!


[中略]


最近、スタンディングライブでモッシュやダイブが禁止と言われ、主催者が口うるさくなったりしている。確かに過度なモッシュで失神する人も居るし、ダイブされてケガしたなんてこともあるだろう、ぼくもダイブされてメガネがひんまがったことがあるが、ぶっちゃけ、それを含めて、スタンディングのライブだとぼくは思っている。ぼくはロックのリズムにあわせて体を動かしたい。飛び跳ねたい。もっと言えば、全員でそのビートを共有しモッシュしたいのだ。もちろん周りの空気に合わせ、ある程度の節度を守るし、誰かが上から飛んできたら、優しく前方へ投げ飛ばしてやる。それがぼくの考える「ライブハウスでのライブ」だし、ステージから下はぼくらのモノだ。その中で楽しむ権利はある。


モッシュやダイブが禁止されるのは百歩譲って理解するとしても、「女の人が多いから男は前方に行ってはならない」という考えは絶対に許さない。もちろん他のアーティストでは起こらない現象かもしれないが、もし、これから女子がライブハウスに詰め掛けて、男子禁制になりだしたら、ライブなんて行く価値などない。


木村カエラのライブに行ってきたのだが… - シン・くりごはんが嫌い


木村カエラがロックかどうかは知らないけど、多分これに対する最も有効な反論は「Riot Grrrl」を巡る言説だと思います。少し長いけど、最適だと思われるものを引用。

パンク、ハードコアといったバンドのライブで慣習的に行われていたのがモッシュである。モッシュとは簡単に言うと、激しく狂乱して暴れまくることである。ライブ中、ステージ前方の密集したところで、他人とぶつかり合ったり、殴り合ったり、サーフ(人を持ち上げ、皆の腕を使ってその体を支え、波に流されるように頭上で人間が流されること)やダイブ(ステージの上など、ちょっと高い場所から密集した人ごみの中に飛び込むこと)をするのが慣例となったいた。90年代初期にはメイン・ストリームにまで広がり、大きな会場でもモッシュが見受けられるようになった。コートニー・ラヴがおもしろがってダイブしたところ、洋服を剥ぎ取られ結局彼女は下着なしでステージに戻ってきたということもあった。


モッシュでは、汗まみれの乱闘、鼻血、捻挫などは日常的なことである。サンフランシスコにはそのようなモッシュ病専門のロック・メディシン・プログラムを持つ無料のクリニックがあるほどだ。しかし94年に、ロンドンで21歳の青年がステージからダイブし頭部を怪我して死亡、ニューヨークでも17歳の高校生がライブ中に死亡。同じ年、あちこちのライブで死亡者が続出。その後も犠牲者は後を絶たなかった。


そんな中、観客に向かって、モッシュを止めるよう注意を呼び掛けるバンドもいくつかあったが、それら全てが完全に止めさせることは出来なかった。


女の子の場合、男の子同様、危険に晒されるのももちろんだが、体を性的に触られることも頻繁である。さらに服を脱がされたりレイプされるといったこともある。激しく熱狂した男達にとって、それはステージの前方に限らず、どこでもいいのだ。事実、フェスティバルでのレイプも報告されている。「愛と平和」を掲げたロックコンサート、ウッドストックでの暴力事件やレイプ事件をはじめ、ライブやフェスティバルで女性が暴力やレイプに遭うことは現実に多発している。


女の子はいくら音楽が好きでも、そういった危険な目に遭いたくないがためにライブへ行くことを断念しなくてはならなかったり、あるいは危険を覚悟したところで親は自分の娘に対して簡単に承諾するはずもなかった。こうして女の子にとって、さらにライブに行きにくい状況になってくると、ライブは男達に占領されるようになり、同時にマッチョ・カルチャーが助長されることになる。


つまり、激しい音楽である「パンクロック」「ハードコア」と「男性性」「マッチョ」という関係性がより強化されることで、結果的に「パンクロックやハードコアは男のもの、男の音楽」という風潮に拍車をかけることになるのだ。言い換えれば、「パンクロック、ハードコアは女の聴く/やる音楽ではない」「女は引っ込んでろ」等々、シーンにおける性差別的な傾向は強まる一方となるのである。


このように暴力やレイプの横行をはじめ女性を排除しようとするシーンの状況は、現在でも無くなってはいない。シーンにおけるこうした性差別をキャスリーン・ハナは一部で次のようにも捉えている。


「(略)フェミニズム女性嫌悪の大きなコンテクストでいうと、ロック・ショーにおける性差別は、私達を家の中に閉じ込めておくことを意味するまさに別の方法である。それは公的な空間が男性のものであることの維持のためであることを意味し、私達が恐怖感を抱くことの維持のためであることを意味する(略)」


つまり「男は外、女は内」という構造を維持するものの1つに、ロック・ショーでの性差別も含まれるということである。女の子達は「外」つまり「ロック・ショー」に行きたくても、そこで起こる性差別-つまり暴力やレイプ、女性嫌悪といった態度などの「恐怖感」によって、「内」つまり「家の中」へと追いやられてしまうのだ。


第1章 "Riot Grrrl"ムーブメントの生まれた背景 : P.W.A.

ここでは主に「パンクロック/ハードコア」のライブにおける現状が報告されているけれど、所為「ロック」と呼ばれる類のライブでもこの傾向は変わらないと思っていいです。例えば“ピースでクリーン”なことで有名な日本の某ロックフェスでも、モッシュピットでの痴漢被害は後を絶ちません。

この件に関する明確は結論は今のところ出せません。今回の措置は単なる興業上の要請に過ぎないのかも知れない。ただ、“ライブ中にお行儀の良さを求められること”と“ライブ中に女の子がセーフティゾーンで守られること”を単純に結びつけるべきではないと思います。もしそれを批判したいのなら、少なくとも上で書かれているような文脈を一度考慮した上で行われるべきではないでしょうか。“僕らのもの”であるということは同時に“彼女たちのもの”でもあるわけだから。


ちなみに、今回の件に関する僕のざっくばらんな感想はこんな感じ。

  • 00:44  これなぁ。そう単純な話でもないと思うんだよねぇ。女の子は別にもみくちゃになりたくてライブに行ってるわけじゃないと思うんだ。肉体的なハンディキャップもあるし性的なリスクもあるわけで。『木村カエラのライブに行ってきたのだが…』http://bit.ly/f9vZB
  • 00:49  多分「女は前、男は後ろ」ってのが不公平感の要因になってると思うんだけど、ライブ行く女の子って普段そういう状況に置かれてるんだろうし。まあそういう状況でも「モッシュしたい!」「前で見たい」って子は自己責任で前に行くんだろうけど、そこに手心を加えるのはそう悪いことじゃないと思う。
  • 00:53  たとえばホルモンのライブとかでモッシュピットに特攻して終わったあとボロボロになりながら出てきて「楽しかったぁ!」とか言ってる子には「バカだなぁw」とか思いつつに暖かい視線を向ける感じなんだけど、そういう子ばっかじゃないだろうし。
  • 01:03  @haineken その辺は正直結論は出ないなぁ。ポルノにおけるゾーニングの有効性を支持する人間としては、“女性専用エリア”の存在もありではないかと思ってしまうんだよね。
  • 01:13  @haineken 逆差別等々に関しては配置の仕方にもよると思う。いや、本当は分けたくなんてないんだけどね。何せBECKが言った「モッシュはコミュニケーションなんだ」って言葉を信奉してる人間だから。
  • 01:22  @moriken0206 ただはっきりと言えるのは、「ロック」は性差別的側面を多分に含んだカルチャーであり、外部からも内部からもその批判は行われてきた、ということ。もし「ロック」って文化を真摯に語るのなら、そのことにも目を向けるべきだと思う。


ついでに。

Riot Grrrl」はメディアによって歪められたイメージが流布されたこともあり、結局ムーブメントとしてはすぐに萎んでしまいますが、しかし“直系”のべス・ディットー(The Gossip)はもちろんのこと、「Riot Grrrl」の影響を直に受けていたり、あるいはその失敗から学習しより効果的なアプローチを模索するなど、現在“アイコン”となっている女性アーティストへの影響は決して無視できるものではありません。

ですが、この思想を巡るまとまった言説はこの国ではほとんどお目にかかれません。“グランジオルタナ期の派生ムーブメント”という扱いがせいぜいで、その意義や価値は半分も伝えられていないのが現状です。

僕の知る限り、現在読めるものでこの思想に関するもっとも良くまとまっている言説は上で引用したvegangrrrlさん(大垣有香さん)の文章(卒論とのこと)ですので、一通りリンクを貼っておきます。めちゃくちゃ面白いのでロック好き/ガールズ・カルチャー好きやポップ・カルチャーにおけるフェミニズムに興味のある人は必読のこと。

はじめに : P.W.A.
第1章 "Riot Grrrl"ムーブメントの生まれた背景 : P.W.A.
P.W.A. : 第2章 "Riot Grrrl"ムーブメントのはじまり
第3章 "Riot Grrrl"論争 3-4 : P.W.A.
第4章 "Riot Grrrl"がもたらしたもの : P.W.A.
第5章 多様化する"Riot Grrrl" 3 : P.W.A.
おわりに : P.W.A.
notes! notes! notes! 2 : P.W.A.

この内容を再編したZINEも売ってるので興味のある人は是非に。ZINEも「Riot Grrrl」を構成する上で欠かすことのできない重要なアイテムなんですよね。

あと、id:katokitizさんは「これから女子がライブハウスに詰め掛けて、男子禁制になりだしたら、ライブなんて行く価値などない。」と言ってるけど僕は逆に大喝采を叫ぶと思うなぁ。それって最高に“ロック”だもの。入れてもらえないだろうけど。

Revolution Girl Style Now!

Bikini Kill - Rebel Girl

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の“ジョニー・B・グッド”演奏シーンに関するほぼ完璧な解説。

http://burusoku-vip.com/archives/1113139.html

三部作の中でも屈指の名シーンとして挙げられることも多い、ダンス・パーティーでマーティが即興で“ジョニー・B・グッド”を演奏するこのシーン。

僕も大好きなシーンなんですが、これに関する“ベスト”と呼べる解説を見つけたのでご紹介。

バックトゥーザフューチャーで歌っていた曲は? - 海外アーティスト 解決済み| 【OKWAVE】

質問:「バックトゥーザフューチャー(1)」で主人公が学園祭の代役ボーカルとして歌った曲は誰の歌っている曲なのでしょうか?出来れば、英語のスペルでの歌手名・曲名を教えてください。カテゴリーが違うかもしれませんがよろしくお願いします。

皆さんがおっしゃっているように、チャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」ですが、この曲はプレスリーとは別にロックンロールの原点になっている曲です。ですから、このシーンの途中でバンドの怪我をしたギタリストが本当のチャック・ベリーに電話で聴かせて上げるという場面が出てくるわけです。つまりこの映画ではロックンロールも30年間の時間のループを描いているということなのです。

すいません、私にもちょっと補足させて下さい(^^)。


この'85年作品で、主人公は30年前の'55年にタイムスリップします。
'55年の町中のシーンでまず聞こえるのが、コーデッツ等でヒットした「ミスター・サンドマン」。つまりまだビートがない時代で、ロックンロール前夜だというのが、これで分かります。


有名な「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は、'54年に発売されましたが当時は売れず、この'55年の映画『暴力教室』に使われて大ヒットします。『暴力教室』は3月に公開され、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は7月にNo.1ヒットとなりましたが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の舞台である10月下旬から11月の段階では、アメリカの田舎町では、まだゆったりとしたポップスが人々にとっての主流だったということです。


「ロック・アラウンド・ザ・クロック」という曲が「ロックンロール」の始まりのように言われることが多いですが、実際にはそれまでに「ロック」という言葉が使われるレコードが幾つも出ております。ただしNo.1ヒットとなったこの年がひとつの節目になったことは確かで、そうした下地があったからこそ、マーティがキーだけを指示してイントロを弾き始めても、バンドはちょっとテンポの速いジャンプ・ブルースだと思って追従出来るということになる訳です。


ちなみにあのバンドは「MARVIN BERRY AND THE STARLIGHTERS」という役名だそうで、「ジョニー・B・グッド」の演奏中に、手を怪我したMarvinが従兄弟の「Chuck (Berry)」に電話するのは、masmasさんのご説明通りです。


またこの演奏シーンは、ボーンズ・ハウ(Bones Howe)という、フィフス・ディメンションやアソシエーションの仕事で有名なプロデューサーが、スーパーバイザーとして参加しています。イントロこそチャック・ベリーのスタイルですが、間奏からはサーフィンのテケテケとか、アンプの蹴り倒しとか、ライトハンド等まで取り入れ、あの3分間の中に30年のロック・ギターの歴史を凝縮させているのであります。


蛇足ですが、チャック・ベリーの音源には、オリジナルのCHESSレーベルのものと、再録のものがあります。当然、オリジナルCHESS録音がベストですので、CDを探す際にはその辺ご注意下さい。

ロック好きであればこのシーンが何を意味するかはすぐに理解できるとは思いますが、ここまで細かく考えられていたとは知りませんでした。確かに改めて見返すと、演奏後半でマーティが暴走を始めてからは“クロマティックラン→ウィンドミル→ライトハンド(タッピング)→背面弾き→アンプ倒し→早弾き”という形になってますね。これを“ロックの歴史”と言ってしまうのは少々偏っている気もしますがwまあ多分僕が所為“ギターテク”というものに何の思い入れもないからなんでしょうけれど。

いずれにせよ“ロックの発展”のプレゼンテーションとしては素晴らしく良く出来ているシーンだと思います。オチも含めて。

一部にはこのシーンを“ロックンロールの起源を奪う=白人による搾取”だという人もいるみたいですが、もし本当にそうならここで引用されるのはエルヴィス・プレスリーのはずです。でも引用されるのはチャック・ベリー。ここで“ロックンロールの起源”をチャック・ベリー(やそのほかの黒人ミュージシャン)に見出していることは明らかでしょう。

と同時に、ロックンロールは黒人のみによってつくられたカルチャーではなく、白人やそのほか様々なルーツを持った人々が携わることで発展していったカルチャーでもあるんですよね。それらをひっくるめてマーティがチャック・ベリーに(間接的に)手渡して、その中からコアな部分を抽出する形でオリジナルの「ジョニー・B・グッド」が生まれる。だからここで行われているのは“搾取”ではなく(白人と黒人、未来と過去の)“交配”と捉えるべきでしょう。それに関しても上の方がきっちり解説しています。

下(※上)の書き方だとちょっと誤解されるかもしれないので更に補足。


「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は白人ロカビリアンのビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツのナンバー。そして'55年の夏に、チャック・ベリーもCHESSレコードから「メイベリーン」というナンバーでデビューします。この曲は全米チャートでも5位まで上がるヒットとなります。


それからも
'56年「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」(全米29位)
'57年「ロックンロール・ミュージック」(全米8位)
「スクール・デイ」(全米3位)等のヒットがあり、
「ジョニー・B・グッド」が出たのは'58年(全米8位)です。


ただ、現在チャック・ベリーは偉大なロックン・ローラーとして、誰もが敬意を払いますが、ビートルズローリング・ストーンズ等のビートグループが、彼へのリスペクトを前面に押し出すまでは、人種差別の問題等もあり、チャートにおける成功にもかかわらず、本国でもそれほど高い評価を得ているとは言えませんでした。彼の評価を高めたのは、次の世代のアーティスト達だったのです。


この「ジョニー・B・グッド」は、人種差別や偏見、そして自分に対する励ましを歌詞に込めた曲と言われます。運は自分でつかみに行けという、"Go Go"のリフレインに込められたメッセージは、ある意味ではロッカー達の讃歌となり、その後も数多くのロッカーに歌い継がれ、チャートのランクを超えたチャック・ベリーの代表作になっているのであります。

この時代(55年)はまだ公民権運動前で黒人差別が一般的だった時代です(公民権運動が全米に広がるのは56年から)。そんな中、チャック・ベリーは後の時代の“ロックンロールに目覚めた若者達”によって人種を超えた真の評価を勝ち得るわけです。そして彼(チャック・ベリー)の影響を受けたアーティスト達が新たな音楽を生み出していく。

“白人のティーンエイジャーであるマーティが、黒人の音楽である「ジョニー・B・グッド」を演奏し、自分と同じ白人のティーンエイジャー達を躍らせる”というのはこうしたロックンロールの歴史をなぞることでもあります。

自分自身の誕生だけでなく、自分が大好きな文化(音楽)の誕生に手を貸すことにもなり、それは同時にロックの歴史そのものでもあった、というのがこのシーンの肝でしょう。

また、この過去のパートは、マーティの父親であるジョージの視点から見ると“ルーザー(ジョージ)が外部(未来)からやってきたオラクル(マーティ)の助けを借りてジョックス(ビフ)を打ち倒しクィーン(ロレイン)をゲットする”という学園映画の典型的なプロットにもなってるんですよね。で、そのことが未来の自分や家族を救うことにもなる。


ということで、僕は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』三部作の中でも「学園映画」のプロットを踏襲し、かつ「ロックンロールの誕生」も描いている一作目が一番好きです。

「ブルーシートオフ@コミケ76」にて合法ドラッグ(亀田製菓製)を無料で配布します。

タイトルの通りです。

亀田製菓が世界に誇る合法ドラッグ。ひと舐めすればもう夢中!ふた舐めで天国逝き!一人10個まで。それ以上は夜ご飯が食べられなくなる可能性があるので禁止します。アルコールと合わせて摂取すると効果が持続するそうです。

1.開催日時

 −8月15日12:00-17:00

 −8月16日11:00-17:00

 ※適当に敷くので時間もわりと適当です

 ※状況はhttp://twitter.com/junkMAで随時報告します



2.場所

 −有明西ふ頭公園(ビッグサイト西展示棟近接)


3.諸注意

 −雨天中止です

 −参加費は無料ですが、お菓子や飲み物、紙コップ等を持参して頂けると助かります

 −終了後は適当に打ち上げするとかしないとかという話もあるみたいです

 −質問等ありましたら@junkMAまでどうぞ

ブルーシートオフ@コミケ76開催のお知らせ - 東京横浜オーケストラ


関係ないけど“ハッピーパウダー”って安いトランス系のクラブとかでばら撒かれてそうな名前だよね。

「ドラッグになんて頼らず音楽の力だけで支えられている日本のクラブカルチャー」ってほんと?


id:metamix ドラッグになんて頼らず音楽の力だけで支えられている日本のクラブカルチャーは世界に誇れるものだ。セカンドサマーオブラブの例なんて引っ張り出してこないで欲しい。あれはムーブメントであって理想ではない。


id:inumash id:metamix いや、日本のクラブカルチャーも言うほど“きれい”ではないよ。ドラッグがタブー視されてるから“語られない”だけで。/石野卓球「“飛んてる奴”も、“ブッ飛んだことがある奴”も必要。」


はてなブックマーク - 宇宙飛行士の向井さんや毛利さんだって覚醒剤をやっている。 - マウスパッドの上の戦争。

ziprockerさんのエントリから横道に逸れてしまって申し訳ないけれど、上の件に関するmetamixさんへの私信。


えー、metamixさんのこのブクマコメントには2つの部分で違和感があります。

一つ目は『ドラッグになんて頼らず』という部分。“ドラッグに頼る”というのが具体的にどういう行為であるのかは分かりませんし、metamixさんが言う“日本のクラブカルチャー”が具体的にどのパーティー/アーティストを指すのかは分かりません。ただ日本のクラブ・カルチャーの総体を見た場合、「ドラッグに頼っていない」と言い切ることはできないように思います。

僕はリアルタイムで日本のクラブ・カルチャーの全てを見てきたわけではありませんけれど、そこに関わってきた人たちの話を聞く限り、勃興期においてもドラッグ・カルチャーとは密接な関わりがあったそうですし、僕がクラブや野外レイブに行くようになってからの体験においてもそれは同じだと言えます。現在だってそうでしょう。アンダーグラウンドなものはもちろん、ある程度の規模のイベントでもやっぱり“そういう光景”は見るし、そういう人たちが周囲に与える影響は決して小さくありません(ポジティブなものもネガティブなものも含めて)。DJ/アーティスト側の事情においてもそれは同じです。

皆がシラフのパーティーは珍しくないし、ドラッグを否定するDJ/アーティストもいます。ですがそれはあくまで一部の傾向であり、日本のクラブ・カルチャーの全体的な傾向とするには無理があるでしょう。ズブズブなパーティーもいっぱいありますし、そういうパーティーが“傍流”に追いやられているわけでもない。

なので、『ドラッグになんて頼らず音楽の力だけで支えられている日本のクラブカルチャー』というのは一部の事象を全体に拡大しただけで、実際の姿とは違うものであるように思います。少なくとも、僕が見てきた/見ている“日本のクラブ・カルチャー”はそのように単純化できるものではありません。日本(に限った話ではないですが)のクラブ・カルチャーってもっと懐が深いものだと思いますよ。


んで、もうひとつは『世界に誇れるもの』という部分。“ドラッグになんて頼らず音楽の力だけで支えられている”ということは、本当に“世界に誇るべき”ものなんでしょうか?“ドラッグを頼っていない”ってそんなに素晴らしいことなんですか?

その音楽やカルチャーの価値を決めるのは“ドラッグの有無”ではないはずです。スピリチュアライズドよりもモグワイの方が“ドラッグをやっていないから素晴らしい”なんて話にはならないでしょう?

また、“音楽の力だけで”とありますが、その音楽やVJなどの表現手法の大半はドラッグ・カルチャーの影響下で生み出されたものでしょう。「ドラッグ・カルチャーの成果物」を排除しては成り立たない文化です。その成果物に支えられていることを称揚しながら、しかしそれを生み出した文化は否定する。僕には酷く歪んだ態度であるように思えて仕方ありません。まるで、ロック好きの白人が黒人文化を必死に否定しているかのような。

個人的には、こうした態度の延長上に、アーティストがドラッグで捕まった途端その作品が自主回収されるというあの奇妙な光景があるように思います。

metamixさんがドラッグを忌避する気持ちは理解しますし、それを否定するつもりはありません。僕自身ドラッグ・ユーザーではないから、音楽を楽しむためにいちいち余計なリスクを背負いたくない、と思う部分もあります。しかし、音楽に限らず、僕らは間違いなくドラッグ・カルチャーから多大な恩恵を受けています。もしそれらの影響を全て排除したら、ずいぶんと退屈で殺風景な世界になるでしょう。

上澄みのきれいな部分だけをすくって語ることもできるでしょう。そうすれば、今のようにクラブ・カルチャーが悪魔化されるようなことはなくなるかもしれません。しかし、事象の一部分にだけフォーカスして実態を歪める行為は、メディアの偏向報道となんら変わりません。“ドラッグから解放された日本のクラブ・カルチャー”という理想化されたイメージは、“クラブ・カルチャーは犯罪やドラッグの温床となる危険な文化”という偏見の裏返しに過ぎません。

そこからこぼれ落ちてしまう部分、多くの人が忌避する“汚い部分”もまた文化の一部です。その部分を単純に切って捨てるようなことはできないんじゃないかと僕は思います。


あと、僕がブコメで引用した卓球の発言を前後含めてきちんと記載しておきますね。

(日本のクラブ・カルチャーが拡大しない原因としてドラッグの有無は関係あるか、との問いに)


ある。間違いなくある。それは。これは、書いてくんないかな?(慎重に、言葉を選ぶ卓球)クラブのムードは、ドラッグで左右される部分が間違いなくある。ただ海外にも、シラフ度の高いクラブっていっぱいあるんだけど。例えばビッグ・ビーツのパーティーとかさ。でも、もうちょっとアンダーグラウンドなテクノのパーティーとかになると、トんでる奴は確実にいるんだけれども、トんでない奴もトんでるムードに持っていく感じ。それにはやっぱり、トんでる奴は必要。トんだ経験のある奴も、必要。そうじゃないと、わからないから。結局カラダを揺するだけ、とかになってしまうんだ。それでもいいんだけど。『ドラッグは関係ない』って言う人もいるけど、それは音楽への接し方の問題であって、クラブでの楽しみ方っていうのとはまた別問題だからさ。


キメてる奴を『ダメだ』っていう奴らは、『やりたいんだけど羨ましい』っていう妬みだもん。本当にやらない奴は、そんなの関係ないもの。『醜くトぶのは嫌だ』とかそのくらいだよ。で、やってる奴らがやってない奴に感じてしまうのは、優越感でしょ。だからさ、やりたきゃやりゃあいいと思うよ、別に。全員やりゃあいいだろ、やりたい奴は(笑)!1回、1回ね。それが何で問題かっていうと、それでハマっちゃう奴がいるからなんだよ。俺はもう乱暴に言えば、許可制にすればいいと思う。

ちなみにこれはQ'HEYさんが書いてる日独DJサミットがあった年の年末にやった「LOOPA」の全国ツアーの時のインタビューです。WIREを始める前の年。なんとなく今は違うことを言いそうな気がする。

デブがうざい?ご冗談を。

3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/26(日) 17:45:07.27 ID:97xA81DC0 ?PLT(12280)

なんで一人ピザなんだよwwwwwwww


7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/26(日) 17:53:39.36 ID:aZLEtHsp0

産業で説明すると


デブがうざい
けいおん!の「け」の字すら浮かばない
デブがうざい


20 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/26(日) 18:05:37.11 ID:3iAqb+94O

デブの需要が分からん。何をターゲットにしてるのかな


25 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/26(日) 18:09:11.17 ID:tkMPxl0d0

これは酷いデブ


42 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/26(日) 18:20:19.82 ID:VU1yKL2j0

デブキャラとか誰得なんだよwww


糞アニメのけいおんが神に見える


52 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/26(日) 18:26:08.73 ID:PUnlNfSBO

クwwwソwwwデwwwブwww


67 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/26(日) 18:32:06.28 ID:1Qd5nLQzO

一人軽くない香具師がいる



102 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/07/26(日) 18:50:36.95 ID:+//HL8zE0

なるほど、デブ専にも対応した新しいアニメだ


韓国も考えたな


http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-756.html


デブ女はポップスターになんかなれない。そんな風に思っていた時期が僕にもありました。

The Gossip - Heavy Cross

The Gossip - Listen Up(radio edit)

The Gossip - Standing in the way of control (live)

大合唱ですなぁ。みんな大好きけいおん!とどっちが人気あるかな?


Marc Jacobsから彼女をモチーフにしたTシャツも出てますね。

ちなみにブレイク直後にTopshopからインストア・ライブのオファーがあった時は「どうしてあたしが着れるサイズの服を置いてない店でそんなことしなきゃいけないのよ!」と断ったそうで。素敵。

何が可笑しいって、みんなはデブのことをマイノリティ扱いしてるけど、でも実際にはデブのほうがマジョリティなんだってことなのよ。どうしてデブは一致団結しないのか、いつもそれが不思議だわ。だって、デブはマジョリティなんだもの。いわゆる「太め」の人は、何かとケチをつけられるわよね。私は「太め」という言い方が大嫌いなんだけど。だって、それって、人のあるべきスタンダードを定めてるみたいなもんでしょ。ところが、今やこの国では、私たちこそがマジョリティなのよ。本当に可笑しいわよね。世界に一人たりともデブがいてはいけないみたいな扱いをされるけど、そういう扱いをすることこそを恥ずべきなのよ。実際にはほとんどの人がデブなんだもの。


(中略)


売り出すためにストレートのふりをしたり、それっぽく喋ってみせたり、やせたりしてみせるのは、私たちがいちばんしたくないことなの。私はブリトニー・スピアーズになりたいわけじゃないわ。なりたくなんかない。彼女にはゾッとする。


ベス・ディットー語録 - ブログ版 Queer Music Experience.

── 一般に、ですけれども、ゲイ・レーベルというコネセプト、あるいはThe Gossipというバンド自体に対してある種のセンセーショナリズムを感じる人は多いと思うんです。実際、あなたがNMEで披露したヌードフォトセッションはある種のスキャンダルと受け取られるでしょう。あなた自身、そうしたスキャンダリズムを利用してやろうという、つまりSex Pistols的というか、その意味で伝統的なロックの手法だと思うのですが、メディアを利用することで自分達の影響力を浸透させていこうとしていう戦略をはっきりと意識しているのではないですか?


Beth: そうですね。結構見落とされがちですけど、パンクというものはストラテジックに計画されたものでもあるんですよ。センセーショナリズムはメディアが作り上げるもので、そのメディアを逆に利用してやろうというのがパンク精神だと思うんです。自分達がメディアに使われるばかりではなく、自分達がメディアを使ってやろうというゲーム感覚を持った方が楽しいし、その方が自分にとっていいんです。メインストリームのメディアからみたら、アンダーグラウンドシーンは金儲けの要素がたくさんある。そういった意味において、現在CSSKlaxonsが存在するのはメディアがピックアップしてくれたからというのもあるんですけれど。メディアからみたポップカルチャーが金儲けのためものであるなら、それを逆手にとってやろうという感じですね。


HONEYEE.COM

クールですな。

とりあえず安易にデブを馬鹿にする奴は彼女に顔面騎乗されて窒息すればいいと思うよ。

前に書いたエントリ。
ふとい は正義!〜肥満に悩む万国の“フトレタリア”に告ぐ!〜 - 想像力はベッドルームと路上から

I'm One Angry Dwarf Still and High School Never Ends


全米のギークが涙した告白「私が同窓会に参加しない理由」 - YAMDAS現更新履歴


Mark Chu-Carrollさんや彼の言葉に共感する人たちにこの曲を捧げたい。僕の知る限り“オチ”も含めて最高の「仕返しソング」。


Ben Folds Five - One Angry Dwarf And 200 Solemn Faces
D

75年の9月、僕の身長は120センチ
ママは僕の小心を吹き飛ばすために、
クリスマスにタフなG.I.ジェーン
くれるって言ったけど、
それでも僕は放課後にボコボコにされた。


ビッグで重要人物になった今も
僕は一人の怒れるチビのまま。
そして200人の厳粛な顔してるのがお前らさ。
もし本物の僕に会いたいなら
新聞やテレビをチェックして、
誰が誰にどうしろと言ってるかを見てみろよ。
さまあみろ!!
じゃあね。


僕に無礼なことをするなよ。
僕が誰だか知ってるだろ?
僕は君にとっちゃ悪夢みたいなチビだぜ。
ヴィック、君は僕のランチの金を取り上げて
泣かせてくれたよね。
ねえジェーン、2年生のときを覚えてる?
君は僕の顔には堪えられないって言ったんだぜ。
僕とキスするくらいなら
死んだほうがましだって。


ビッグで重要人物になった今も
僕は一人の怒れるチビのまま。
そして200人の厳粛な顔してるのがお前らさ。
もし本物の僕に会いたいなら
新聞やテレビをチェックして、
誰が誰にどうしろと言ってるかを見てみろよ。
さまあみろ!!
じゃあね。


お前はいつか後悔する。
そう、お前はそうなる。絶対そうなる。
お前は僕をいじめるべきじゃない。
だって僕はそうなるから。絶対そうなる。
僕がビッグになったときお前は後悔するぞ。
そう、お前はそうなる。絶対そうなる。
お前らは絶対後悔するはずさ。


ビッグで重要人物になった今も
僕は一人の怒れるチビのまま。
そして200人の厳粛な顔してるのがお前らさ。
もし本物の僕に会いたいなら
新聞やテレビをチェックして、
誰が誰にどうしろと言ってるかを見てみろよ。
さまあみろ!!
じゃあね。

2ndヴァース部分の「昼飯代取られた。」とか「キスするくらいなら死んだほうがマシ、と言われた。」とかいうくだりが最高。あるある!

多分、今この瞬間も世界中の教室の片隅でこんな風に考えてる奴がいるはず。自分を主人公に、クラスメートを仲間や敵に配役した冒険物語とか、「教室にテロリストが侵入してきたら〜」なんて妄想してるのもそのバリエーションですね。こういうのって“オタク”とか“いじめられっこ”に限らずある程度普遍的な体験だと思うんだけどどうなんだろうなぁ。

あと、

それから、学校は人生じゃないってことを理解しておくことが大事だ。学校は奇妙で、人工的なものだ。半分は不毛で、半分は野蛮だ。そこには、人生と同じようにあらゆるものが含まれている。でも、それはほんものじゃない。一時的なものに過ぎない。そのまっただ中にいても、目を見開けば、その先にあるものが見えてくるだろう。


オタクが人気者になれない理由-ポール・グレアム

ポール・グレアムはこう言ってるけれど、でも“社会と学校”を巡る関係においてはこっちの方が真理を突いてるような気がする。

Bowling for Soup - High School Never Ends
D

同窓会でこんなことができるなら是非参加したい。ちなみにこの曲をプロデュースしてるのはFountains of Wayneのアダム・シュレシンジャー。


アメリカの学校内文化に関しては色々な書籍が出てるけれど、ここ何年かで断トツにお勧めなのは長谷川町蔵さんと山崎まどかさんの共著「ハイスクールU.S.A.―アメリカ学園映画のすべて」。映画好きに限らず、アメリカのユース・カルチャーに興味がある人は必読の名著。特に今回の話に関連するのは第8章あたりになるのかな。

ハイスクールU.S.A.―アメリカ学園映画のすべて

ハイスクールU.S.A.―アメリカ学園映画のすべて

本としてまとめられる前のコンテンツの一部はここで読めます。ちなみにここでも触れられている通り、青春時代をやり直すというのはアメリカ学園映画の古典的なプロットのひとつ(関係ないけど『25年目のキス』のドリュー・バリモアは本気で可愛い)。最近のだとザック・へフロンの『セブンティーン・アゲイン』がそう。

面白いのが、“メタ・ゲーム”として参入したはずのプレイヤーも「学校」というゲームのプレイヤーになった瞬間、そのルールに絡めとられていくパターンがほとんどなんだよね。「学校」というゲームそのものを解体したりはしないし、できない。せいぜいその中で新しい必勝法を見出すか、ゲームから“降りる”くらいで。そう考えると「学校」というゲームが如何に強固なものかが良く分かる。ほんと、厄介なゲームを始めてしまったもんだ・・・。

マイケル・ジャクソンをコケにした男


先週急去したマイケル・ジャクソンに関する色んなエントリや動画があがってるけど、僕にとって最も印象的な映像はこれなんですよね。

96年のBrit Awardsでの一コマ。ここでステージに乱入、“お尻ペンペン”をしてステージを走り回っているのはブリット・ポップ期を代表するバンド「PULP」のジャーヴィス・コッカー。

本人は「周囲に対し神様みたいな振る舞いをする彼が許せなかった。」と言ってますが、実際にどういうつもりだったかは別にして、自意識を極限まで肥大化させたかのようなマイケル・ジャクソンのパフォーマンスに正面から冷や水をぶっ掛けることになった彼の行為は、単なる“お騒がせ”を超えたある種の批評性を持つものだと思います。というか、ポップ・カルチャーにおけるパラダイム・シフトを象徴する瞬間だとすら思うんですよね。

日本においても、割合において、この時代ほど洋楽が売れた時代はなかった。それは、MTVが果たした役割が大きい。だが、90年代以降、再び洋楽の地位はまた下がっていく。ひとつにはJポップの台頭があった。そして、それだけではなく、90年代以降のアメリカの音楽産業は、80年代のように全世界に向けたユニバーサルな音楽よりも、狭い範囲に向けた商品を指向するようになった。これは、マーケティング手法の変化や政治状況と結びついているのだろう。


http://www.hayamiz.jp/2009/07/1984-55eb.html

ブリット・ポップとは、MTV以降、グローバル化が進んだポップ・カルチャーにおけるナショナリスティックな表現運動であったと同時に、その表現主体を肥大化したメディアの“イメージ”から実際に生きる“人間”へと回帰させる復興運動でもありました。だからこそアーティストの出自が問われる。有名なoasisblurの対立というのは、よく言われているように労働者階級(ラッディズム)と中産階級(ニヒリズム)の代理戦争だったわけですが、そのど真ん中をぶち抜き「中産階級ニヒリズムに乗せて労働者階級のラッディズムを歌う」という形で“ブリット・ポップの本質”を最も的確に言語化して見せたのがジャーヴィス・コッカー率いるPULPだったわけです。

そんな彼が、「MTVの申し子」であり「アメリカPOP帝国の象徴」でもあったマイケル・ジャクソンの、まるで宗教儀式かのように演出されたステージ(虚構)に自らを“異物”として紛れ込ませることでそれを“コケにした”のは、ある意味当然の行為だったのかもしれません。

Pulp - Common People

PULPの最大のヒット曲であり、ブリット・ポップを代表する曲。労働者階級の日常を知らず、動物園のサルを眺めるように彼らを見る富裕層への皮肉が込められたこの曲は元々ジャーヴィスが大学在学中に出会ったギリシャからの留学生とのやりとりを基に書かれたものですが、上の流れを踏まえるとまるでマイケル・ジャクソンへの強烈な皮肉を歌っているかのようにも思えてきますね。特にこのライン。

You'll never live like common people,
You'll never do what common people do,
You'll never fail like common people,
You'll never watch your life slide out of view,
And dance and drink and screw,
Because there's nothing else to do.


君は絶対に普通の人のようには暮らせない
君は絶対に普通の人がすることは出来ないし
君は絶対に普通の人がするような失敗もできない
君は自分の暮らしが悪くなるのを見ていられない
ただダンスをしてお酒を飲んでセックスをするだけ
だって他にやることが無いんだから


※歌詞の全訳はここを参照。

セックスはともかく酒とは無縁だったようですが。


マイケル・ジャクソンの死に際しては「世界中で愛され〜」という形容が広くなされています。実際彼ほど多くの人から愛された存在はいないと思いますし、またそれに足る素晴らしい作品を多数残しています。しかしその一方で相応の憎悪の対象となったのもまた事実でしょう。そういった側面もまた彼の“ポップ・アイコン”としての偉大さを示す証左であるように思います。

ちなみに件の行為によりジャーヴィスは警察からの取調べを受け、またマイケルのファンからは罵声を浴びせられますが、同時に多くのアーティストから擁護や賞賛も受けることとなります。oasisのノエル・ギャラガーなどは「彼に叙勲すべきだ。」とまで言ってますね。この一件から彼(ジャーヴィス)を好きになったという英国人も結構いるそうです。

Pulp - Common People live at Glastonbury (1995)

95年のグラストンベリーでのライブ。この年のハイライトのひとつ。8万人の大合唱。