Perfumeは匿名の夢を見るか。〜PerfumeとDAFTPUNK〜

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昔、たくさんの音楽好きが、「テクノなんてみんな同じじゃん!所詮は打ち込みでしょ。」と言っていたのを思い出した。

ここでひとつ事例を出してみる。

DAFT PUNKというフランスのテクノ系ユニットがいる。松本零士とコラボレーションしたり、GAPのCMへの出演、またPerfumeとの音楽的類似性を指摘する人もいるから知っている人は結構多いと思う。

彼らは、デビュー(97年)以来頑なに素顔を晒すことを拒み続けていることで有名だ。デビュー当時は豚の被り物などで、2001年以降は「ロボット化(下記写真参照:設定では、機材の爆発事故により死亡→ロボットとして復活)することで自らの「匿名性」を保持し続けている。


ライブでもその方針は変わらない。しかも、彼らの音楽は打ち込みが主体の「テクノ」だ。楽器を弾くわけでもなく、また歌を歌うわけでもない。せいぜいサンプラーをいじったりエフェクターのつまみをまわしたりするくらいだ。

そう、彼らのライブには、一切の「固有性」が存在していない。唯一それを知覚できるのは、「楽曲」と「映像その他の演出」、そして「ロボットのビジュアル」のみ。日本企業が彼らにCM出演を依頼したら、「結局ロボット部分だけが送られてきて…」みたいな話もどこかで読んだことがある。

しかし、ライブに来たオーディエンスは、彼らが「本物である」ことを前提として楽しんでいる。彼らが「DAFT PUNKである」という証拠、つまり明確な「固有性」が存在していないにも関わらず。もし仮に、彼らがそっくり他人に入れ替わったとしても誰も気がつかないだろう。面白い構図だと思わないだろうか。ここで、「誰が鳴らしても変わらない」とか言う人いるのかな?


さて、楽曲製作からヴィジュアルまでコントロールできる立場にいるDAFT PUNKと、他者の思惑によって動かざるを得ないPerfumeを単純に比較することが野暮なのは前提としたうえで、ちょっと意地悪な質問をしたいと思う。

楽曲は自分で作るが、素顔を晒さず、楽器そのものを演奏するわけでも歌うわけでもないDAFT PUNKと、楽曲は他人が作るが、素顔を晒し、(エフェクトがかけられているとはいえ)自分で歌うPerfume、「固有性」が高い(低い)のはどっち?

残念ながら、僕はこの答えを持っていない。だがしかし、ポップミュージックの文脈において、この「固有性」という概念はそれほど単純に語れるものではない、ということは分かってもらえるんじゃないだろうか。

んでもって、「アイドル」という文脈もポップミュージックにおける「アーティスト-オーディエンス」という関係性のバリエーションだと僕は捉えているので、id:Geheimagentさんの「Perfume評」は、この「固有性」という概念を単純化し過ぎているように思うんだよね。

「ヴォーカルのエフェクト」の良し悪しは個人の好みだから、それを否定すること自体は特に問題じゃない。しかし、それを「固有性」の話に結びつけるのはちょっと安易すぎる。

更に、それを「Perfumeファン」(というか、多分「アイドルファン」が仮想敵になってると思うのだけど)の特異さに結びつける言説は、相当意地が悪いというか、「結論ありき」で無理矢理捻り出しているように見えてしまう。

Perfumeの大ファンだと言う方には「アナタは彼女たちの何を愛しているのですか?」と問いたい。このように一般名詞化されたアイドルを愛する、ということはオタクの要素萌え(猫耳だから-萌える!)と同様にコンビニエンスな快楽しかもたらさないように思うのだが……。

この物言いは、「Perfume」に関してだけでなく、上にあげたDAFT PUNKのライブに熱狂する数十万のオーディエンスにも、あるいはそれ以外のアーティストにファンにも十分適応することができてしまう。そのように語れるほど、ポップミュージックにおける「固有性」は単純な概念じゃない。

「可愛らしい存在」であるためにこういった戦略をとったのは何もPerfumeばかりではない。というよりも、アイドルをアイドルたらしめている要素の根本的なところには、このような「生々しさ」の排除が存在する。

違う。「生々しさの排除」も、逆に「生々しさをアピールすること」も、あるいは「自然体を装うこと」も全て「記号化」というプロセスにおいては同じ行為だ。Perfume小沢健二が特異なのではなく、多かれ少なかれ、全てのアーティストには平等に「それ」が求められている。アーティストを「性対象」として見ることも、特別なことじゃない。「求められる像」が違うだけだと思うのだけど。


まあ正直、僕も、『同時に、彼女たちの代替可能性も強く感じている――メンバーが変わってたりしても、全然気がつかないんじゃなかろうか?』という意見には同意する(さすがに気付くけど)。僕は基本的にPerfumeを取り巻く構造そのものを面白いと思っている人間なので。

でも、だからといって、彼女達に「固有性がない」とも思わない。その「代替可能性」も含めて、自身が“素材”であることを割りきってあのように振舞える人間は多くないし、何より“素材”として求められることをこなせなければ上の構図自体が機能しなくなってしまう。

大体さ、「固有性」なんてすごくいい加減なものでしょ。バンドのギターが抜けるとかヴォーカルが抜けるとか良くある話だし、でもファンは変わらずついてくるわけで。それをPerfume(アイドル)にだけ適応される事柄として語るのは、正直フェアじゃないと思う。

それから、id:Geheimagentさんの言う「固有性」には、『あえて固有性(記名性)を減退させることで逆に固有性(記名性)を強化する』という「テクノ/ダンス」の文脈がきれいさっぱり抜け落ちているのも気になった(もちろん、「Pefumeはアイドルじゃねえ!」と言いたいわけじゃないよ。参照すべき別の文脈が存在するってこと)。

「アイドル」はもちろん、その他すべてのポップミュージックにおける「記名性/固有性」という概念において、「テクノ/ダンス」がもたらした影響は決して小さくない。中田ヤスタカが「ダンス/テクノの人」ではないことは周知の通りだけど、その方法論をベースにしていることは明らかなわけで。

だから、その「非人間化」の戦略を、『「可愛らしい存在」であるため』として設定するのも単純化じゃないかと思うんだよね。

Perfumeに関して言えば、その「記名性」と「匿名性」の間の、物凄い絶妙なポジションにいる気がして、僕は凄くワクワクするんだけどなぁ。ありきたりな「固有性」なんて概念で切って捨てるのは、ちょっと勿体無いと思うのだけど。

ちなみに、ブクマコメントにて、

2007年08月31日 spo0n エフェクトはボコーダーではなくAUTO-TUNEです。ピッチを強制的に合わせているだけなので、地声と劇的に変化しているわけではありません。巷で言われる「誰が歌っても一緒」という言説は正確ではありません。

という非常に適格なツッコミが入っているので、以前見つけた「ロボットボイス」に関してまとめたエントリ(Perfumeへの言及あり)をリンクしておきます。気になる人は参照のこと。

ロボットボイスのたのしみ - SLN:blog*


[追記]

何故、ここまで頑なに私がPerfumeを拒むのか(でも貶めてはいないんですよ、すごく誤読されてると思うんだけど)、そのことについて付記させていただくと「オタク的な感じがヤ」ということに尽きます。「PVはこうしたほうがいい」とかスタッフでもないのに、さも「裏側に回ろうとするような」態度が私は嫌です。また、そのように「裏側に回るような意思」を安易に呼び込むような《軽さ》も「あ、これは私は聴かなくて良いや」と投げてしまう要因です。
……とまた「嫌オタク流」に流れてしまいましたが、わかっていただけたでしょうか。

オリーヴ少女は小沢健二の淫夢を見たか? - sekibang 1.0

うっひゃあ!「ネタにマジレス」しちまったっぽいな、こりゃ。でも、「Perfume(アイドル)はオタクっぽいから嫌!」って普通に言えないのはなんでだぜ?それもそれでひとつの立場なのに。