「恋愛はゲーム」だというなら「クリア」の定義は?。

空中キャンプ-ごめんなさいね、男がこんなで。

ここで書かれているように、「ゲームを降りた」人がいる一方で、

俺が死ぬべき - 行乞記 - 断片部

このように、いままさにサキュバスと激闘を繰り広げている人もいるわけだが、なんにせよ、「恋愛」を「ゲーム」として捉える考え方は広く共有されているように思う(例の「フラグ」とか「攻略法」とかがいい例)。

でもここで疑問が沸く。この「ゲーム」は一体どうなったら「クリア」したことになるのだろうか。

そもそも、ゲームにおける「クリアの条件」の代表的なものを挙げると、

①設定されていた「ラスボス」の撃破
②全ての敵の撃破
③全てのステージの通過
④指定条件(スコア/ステータス/パラメータ)を満たす

この4つになるのではないか。

例えばときメモに代表される本物の「恋愛ゲーム」の場合、告白する(される)とかSEXするということが「クリア」の指標である場合が多い。

また、恋愛をテーマにした小説・映画・ドラマなどの場合はもう少し複雑で、ほとんどの場合、初期に「結ばれた」ことはクリアを意味せず、そこからの紆余曲折があって二人の関係を再確認→ハッピーエンドというケースが多いように思う(これに関しては専門分野じゃないから詳しく分析できないが)。

逆にアニメや漫画の場合、もちろん告白で終わるケースもあるし、その先まで描かれるケースも多いのだが、それよりも「選択をしない(されない)」状態、あるいは選択に留保をつけたまま終了を迎えるケースもかなり目立つように思う(いちご100%とかハチクロ)。

かなり大雑把なまとめではあるが、このように見てみると、差し当たり創作物の中での「恋愛ゲームのクリア条件」はまちまちであることがわかる。

では現実はどうだろう。

10年(いやもう少し前になるか)くらい前なら、「結婚」を恋愛ゲームの「クリア」と見る向きも多かっただろう。だが、それが幻想であるということは既に暴かれている。離婚率や不倫率がその証左だ。「結婚」というタームを迎えて尚、「恋愛ゲーム」のプレイヤーでいようとする人はあまりに多い。

では「出産」はどうだろう?これは女性の影響が強いように思われるが、恐らく男性にとっても他者を明確な「家族」として認識する大きなタームではあるだろう。そのタームを迎えた場合、それは「恋愛ゲームのクリア」ということになるのだろうか。

残念ながら、「否」と言わざるを得ない。子供がいても不倫するケースは珍しくはないし、子供が独立した後の「熟年離婚」も増加している。

離婚率等の参照
離婚観等の参照
離婚の原因参照

「離婚=恋愛ゲームへの参入」と定義できるわけではないが、差し当たり「結婚」や「出産」を「クリア条件」することは不可能であることがわかるだろう。

では、老化による身体的衰えをして「恋愛ゲームのクリア」と定義することは可能だろうか。

これも少し難しい。例えば勃起不全状態に陥っても、「SEX」は出来ないが恋愛は可能であるし、実際にそのような人もいるだろう。また、月経が終了した後もsex含め恋愛を楽しんでいる女性も多いと聞く。老人ホームでの痴話喧嘩なんてある種にこやかな話も聞かないわけではない。

つまり、上記のクリア条件に照らし合わせてみると、①④の設定はなされておらず、②は現実的に不可能である。③に関しては「ステージ」を何と捉えるかによるが、「シュチュエーション」と考えた場合、これも全てを網羅することは不可能である。

このように、「恋愛ゲーム」における明確な「クリア条件」は残念ながら見出すことは出来ない。つまり、プレイヤーたる我々は、目的も知らされないまま、一方的なルールと(不平等な)武器と倒すべき敵と個々の攻略法を与えられ、延々と目の前の敵(or目に付いた敵)を倒すことのみを求められているという状態なのだ。

もちろん、そのようなゲームを楽しいと思う者もいるだろう。だが、多くの者、特にこのゲームがあまり得意でない者にとっては、このゲームは「不毛」以外の何ものでもないのだ。

さらに、多くの者は、「恋愛ゲーム」が必ずバッドエンドであることを知っている。人間の存在が永遠ではないのだから、どのような形であれ「別れ」というバッドエンドを回避することは不可能なのである。

一部の男性は、もう恋愛というゲームそのものから降りてしまっている。そこが女性にとっては不満なわけだ。女性の側から誘いだそうと手をつくしても、ゲームに参加する意志がなくなっているのある。

http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20070122#p1

別に男性に限った話ではないが、この理由は簡単だ。皆がその不毛さに気づき始めたからに他ならない。クリア条件が指定されていないゲームをやるのは、それが好きで得意な者か、その不毛さに気付かない者のどちらか(あるいは両方)である。ゲームは他にたくさんあるのだ。

僕は、ここで挙げられている男性達が単に「恋愛」という感情、行為そのものを放棄したわけではないのだと思う。ただ与えられたルールに飽きただけなのだ。「降りた」というよりも「あがった」のではないだろうか。

一概には言えないが、彼らは彼らで「恋愛」に向っているのだと思う。自分のルールでもって。それが既存のルールから外れたからこそ、「恋愛」そのものから撤退したように見えるだけではないのか。

彼らは未だ既存の「恋愛ゲーム」を続けるプレイヤーを見てこう言うだろう。「まだそんなのやってるの?」と。逆にプレーヤー達はこう言うのだ。「この負け犬が」と。

「恋愛ゲーム」において明確なクリア条件は無い。言ってみればその条件は自分で決めるものだ。そして、その先にあるのは必ず「別れ」という名のバッドエンドである。ならば、そんな「ゲーム」をわざわざプレーする必要もなく、また「既存のルール」に乗っかる必要もない。

今の状態は「恋愛ゲームの放棄」なのではなく、「恋愛ゲームの自由化」だと言えるのではないか。

どうせクリア出来なくて、終焉が決まっているのなら、自分でルールを決めて楽しんだ方が遥かに賢いと思うのだが。