銃口を突きつけられているのは「彼等」ではない。「貴方」だ。〜「論座」4月号『「丸山眞男」をひっぱたきたいへの応答』雑感

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「『丸山眞男』をひっぱたきたい」への応答 -論座2007年4月号- - 御託専科
http://blog.yomone.jp/kayano/2007/03/post_98c7.html

論座」4月号の『「丸山眞男」をひっぱたきたいへの応答』にはかなりの衝撃を受けた。書店で読みながら思わず「うわぁ・・・」といううめき声をあげてしまったほどだ。その「応答」があまりに的外れかつ真摯さを欠いたものだったからだ。

元となる「論座」1月号に掲載された『「丸山眞男」をひっぱたきたい』に関してはこちらを参照して欲しい。

さて、今回の「応答」に関する感想なのだが、端的に言って、

赤木氏を引っ張り出してきた論座のことだ、主要読者である左翼言論人にこういう特集を組むことである種強烈なメッセージを送っているのかもしれない。先ほどの「応答」にしても、主要な言論人がいちフリーターの主張にこんなへなちょこな反論しか出来ない、というのをあからさまにさせている。また、同じ号では麻生外務大臣にインタビューしているが、記者が大臣に軽妙に手玉にとられている様子をがそのまま載っている。
トータルすると、左翼言論人の情けなさが露骨に見えてしまう。それが何を目指しているのかはわからないが、どうも左翼のばかさを曝す、という意図は鮮明な気がする。

「『丸山眞男』をひっぱたきたい」への応答 -論座2007年4月号- - 御託専科

に付け加えることは無い。全く話が噛み合っていないばかりか、『何故「戦争」なのか』という真意も読み解けていない。

赤木氏は『「丸山眞男」を“ひっぱたきたい”』と書いている。『「丸山眞男」になりたい』でも『「丸山眞男」をこき使いたい』でもない。“ひっぱたきたい”のだ。「戦争」による暴力が向けられるのは他でもない、正義や平等を謳いながら自身へ助けの手を差し伸べることの無かった左翼である。

応答文は、戦争が決して問題の解決にはならないことを指摘する。しかしこのように、「希望は、戦争」という発想の根底に社会への敵意があるのなら、その指摘が説得力をもつことは難しいだろう。暴力によって社会の矛盾を解決しようという志向性の根っこには、社会から見捨てられているという感覚がある。

http://blog.yomone.jp/kayano/2007/03/post_98c7.html


彼等は言う。『戦争の暴力は、平等に降り注ぐわけではない』と。そしてこう問うのだ。『戦争で自分が死ぬ可能性は考えないのか?』と。

では彼等に言おう。『戦争の暴力は、外敵からのみやってくるわけではない』と。そしてこう問うのだ。『戦争で同胞から銃口を突きつけられる可能性は考えないのか?』と。


赤木氏の『「丸山眞男」をひっぱたきたい』という意思表示は、明確な「悪意の表明」である。そして「戦争」という手法の導入は、その「切実さ」を表す為のロジックに過ぎない。

だからこそ、それに対する「応答」は、「戦争の本質」や「論旨の稚拙さ」ではなく、まずその「悪意」に対する応答でなければならなかったのだ。

しかし愚かなことに、その「応答」に立った人々は、その本意も切実さも理解せず、「悪意」の対象が自分であることも認識しないまま、ただただ常識論を返すだけである。


湾岸戦争直後のイラクを舞台にした、デヴィッド・O・ラッセルの「スリー・キングス」という映画がある。

この映画で、生まれたばかりの子供を失ったイラクの兵士と、彼に拉致されたアメリカの兵士とのこんなやり取りがある。

「何故俺の子供を殺した?」
「子供を殺してなどいない。クウェートを守っただけだ」
「ウソだ。お前等はこれが欲しいだけだろう。」

そう言ってイラク兵は、アメリカ兵の口に石油を流し込む。

その原因をまったく理解しないまま悪意を向けられて狼狽するアメリカ兵の姿が印象的なシーンだ。


今回の『「丸山眞男」をひっぱたきたいへの応答』は、上のシーンを思い起こさせる。

赤木氏の言う「戦争」は、「希望」を意味するのではない。「戦争」へ向かう彼の姿は、その社会情勢と貧困から自爆テロへ向かわざるを得ないイスラムの若者と並べて考えるべきである。そして、その「テロ」の対象となるのは「貴方」だ。

しかし、赤木氏はこう言っている。

それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争で苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないで欲しいと。

そう、彼は「貴方」に銃口を向けながらこう言っているのだ。

『お願いだからこの引き金を引かせないでくれ』と。

それに対する真摯な回答があのようなものであるならば、その悲劇を止める術を僕は持たない。


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[追記]もちろん、「イスラムの若者」と「日本のフリーター」や「ワーキング・プア」といった格差社会の犠牲者を並列に扱う必要はない。格差の度合いも違えば、その原因も違う。しかし、その宗教的特性は除いたとしても、そこに働く力学は同種のものではないかと思う。