"おっさんパンク"vs"フーディーズ・パンク"


「俺がボランティアとして働くのは」


と言って彼はもったいぶって深いため息をつき、意気揚々と演説を始める。


「俺は25年間ボランティアとして労働してきた。対価を貰って労働している人間が、世界や人間のためになる仕事をしているとは思えないからだ。企業がやっていることを見てみろ。みんな環境を破壊することしかしていない。企業の社会貢献なんてことが騒がれるようになって、どこの企業もプロパガンダとしての社会貢献ゲームをするようになったが、所詮イメージづくりのための貢献は長期的に見れば世界にとってダメージになることばかりだ。営利を目的にした途端に、ビジネスは全て人間のためにならないことになる。だから自分は営利を目的とせず、対価を貰わずに労働するんだ」

勤労しない理由〜オールドパンクとニューパンク〜(1)

「俺がボランティアをしている理由は、世の中のためではなく、自分のために何かをしたいからだな。実際、無償で働くっつったって、人間は金がなきゃ食っていけないんだ。で、どこからその金が出ているかって言ったら、政府だろ。そこの、ヴィンテージのライダースジャケット着た人も、失業保険貰ってるんだろ?じゃなきゃ、25年もボランティアなんてふざけた生き方、できねえよな」

勤労しない理由〜オールドパンクとニューパンク〜(1)


「俺は働かないで政府から金もらいながら好きなことやってるんだ。ま、自分の場合、やりたいことって音楽なんだけどね。ボランティアしているって言うと失業保険事務所で係員と喋るときの印象もアップしてすんなり金が貰えるし、将来音楽で生計が立てられなかった場合に、ここでボランティアしている経験が役に立って金を貰える仕事にありつけるかもしれないじゃん。一石二鳥。って感じかな。俺がボランティアしている理由はごくプラクティカル。失業者に思想はいらねえ」

勤労しない理由〜オールドパンクとニューパンク〜(2)

この対比は見事だなぁ。それぞれの“パンク観”が完全にすれ違っていて、同じトライブにいるはずなのに互いが「目の上のたんこぶ」になっているという。

一言に“パンクス”と言ってもUKとUSではその意味は微妙に違うし、支持するバンドやその時期によって細分化はされてきたんですが、そこに“世代”まで絡むともう完全に別物というか。まあオタク界隈と似たようなもんですね。

「貴様のようなガキに何がわかる!パンクってのはなあ、ファッションじゃないんだ、生きざまなんだ。あくまでも世に警鐘を打ち鳴らし、オーソドックスを疑い、否定し、迎合することを忌み嫌う、その絶えることのない不変のアティテュードなんだ」とか、有村さんがどこかで叫んでそうな台詞ですしw


ちなみに、ここで“古いパンク”の代表となっているニックの言う“パンク”は、多分ピストルズでもクラッシュでもなく「クラス(Crass)」のことなんだと思います。パンク好きの人には解説は不要だと思いますが念のため。

クラス(Crass)は現在のハードコア・パンクの開祖とも言える存在で、ピストルズやクラッシュと並ぶパンク・レジェンドですが、その反商業主義的な活動ゆえ一般の知名度はあまり高くありません。

しかし、その過激な音楽性はもちろん、反戦反核、反キリスト教、反男女差別、反動物虐待などの徹底した政治性とそれらを表現する様々なビジュアルやテキスト、またヒッピーイズムを引き継いだ独自のDIY的活動など、後のパンク/ハードコアシーンに残した影響力はピストルズ、クラッシュと比較しても全く遜色がない・・・というかそれ以上と言ってしまって良いほどの存在です。ピストルズの“アティチュード”やクラッシュの“情動”を、“思想と実践”という領域に昇華したのが彼等だと考えておくと良いでしょう。

現にConflictやDischarge、Napalm Deathなどは明らかに彼等の影響下にありますし、ジェロ・ビアフラなどUSハードコア・シーンの中心人物にも大きな影響を与えています(たしかビアフラは彼等の影響で菜食主義者になったと言ってましたね)。他にもメンバーの一部がグランストンベリー・フェスティバルを全国区に押し上げるきっかけになった反核団体「CND」に関わってるとか、その影響力を示す話は色々あります。

彼等が直接関わっているもの以外でも、ハイドパークでの“反レイブ禁止法集会”にサウンドシステム付きのフロートで乗り込んで、集会を野外レイブに、果ては暴動にまで発展させたのも彼等の影響下にあることを公言してた連中です。まさに英国ポップ・カルチャーの極左的な部分を象徴するバンドなわけですね。


でもって、このニックのような“アナルコ・パンク”の活動ってのは、基本的にクラス(Crass)の活動をそのままトレースしているものです。クラスは放置されていた小屋をスクワッティングして改築し、そこをバンドの活動拠点として使用していました(確かイギリスの電話公社かなんかの使われてなかった作業小屋で、裁判で争って90年代に入ってようやく使用権が正式に認められたとか。今もペニー・リンボーはそこに住んでるはず)し、彼等はそこをバンドの拠点として使うだけではなく、様々な人に開放し一種のコミュニティとして機能させていました。立派な家庭菜園もあって、取材などに記者が行くとそこの野菜を使った料理でおもてなしを受けるそうです。

そういう思想や活動が時間を経るにつれソフティスケートされていき、挙句、若いフディーズ・パンクから見ると“古くてダサい”と映るようになってしまった、というわけですね。日本に比べて段違いにポップとポリティックスの距離が近い英国であっても、やはりこういう風に思われてしまうんだなぁ・・・とちょっとしんみりしてしまいました。

そもそも、日本でも“パンクはヤンキーに殴られていた”(BY町田康)と言われている通り、本国英国でも、パンクというのはアートスクールや大学に通っているミドルクラスのお坊ちゃま&お嬢ちゃま層から火がついたカルチャーであって、「パンク=Do It Yourselfのスピリッツ」なんつうかっこいいコンセプトを考えついたのも、こうしたインテリジェントな若者たちであった。ふつう地方の貧民街の悪ガキども(英国版ヤンキー)は、こういう理屈っぽそうで最先端っぽい流行にはのっからない。が、パンクが下層ヤンキーたちまでとりこむことに成功したのは、セックス・ピストルズの存在以外の何物でもなかっただろう。ピストルズと並びパンクの両雄などと言われることの多いクラッシュだけでは無理だった。それは「俺、クラッシュはわりとどうでもよかった」派が連合いの友人らの中でも圧倒的に多いことを見てもわかる。


ピストルズのメンバーには、いくらヴィヴィアンやマルコムに着飾らせられていても、なんか顔つきは俺たちみたいじゃん、みたいな部分があったのである、貧民街の若者たちにしてみれば。そしてその部分が芝居やポーズではなく本物だったからこそ、「彼らは俺らの代弁者」「奴らに出来るんだったらきっと俺にも」みたいな気分になって自らギターを握ってみたり、マーケットにストール出して自分でペイントしたTシャツを売り始めたりして、本物の非行少年たちまで自分の手で“ノー・ファン”な状況を打破しようとしたのだ。


そう考えれば、パンクというのは何とポジディヴなムーヴメントだったのだろう。

THE BRADY BLOG:フディーズ&ピストルズ随想

恐らく、オリジナル・パンクの記憶や熱量が薄れるにつれこういう差異が明確になり断絶していった、ということなんだと思います。あらゆる文化やトライブにおいて、こういう変遷は決して避けることはできないものなんでしょうね。

というか、“パンクス”といえども「最近の若い者は・・・」的な若者叩きの欲望に勝てないというだけの話なのかもしれません。このニックの口ぶりはまるでどこかの団塊親父みたいですしねwまあ今回の“おっさんパンクvsフーディーズ・パンク”は最後に見事なオチがつくわけですけど。

ところで、この“フーディーズ・パンク”の若者は普段どういう音楽を聴いてるんでしょうかね?この手のHoodiesっぽいファッションをしてるアーティストって、グライム系のMCとかDoes It Offend You, Yeah?くらいしか思い浮かばないんですが。謎です。

Datarockは絶対違うだろうしなぁ・・・。

Datarock - Give It Up